ブックマーク / kamawada.com/~masanori (106)

  • システム開発のSTP (mark-wada blog)

    CIO不要論とかITアーキテクト不要論とか、ちょっと尖ったことを言ったのだが、誤解されるといけないので補足しておこうと思う。そこででてきたのがSTPというのでまたびっくりされたかもしれない。STPというのは、マーケティング戦略などで使われるSegmentation、Targeting、Positioningというあれである。 つまり、顧客や市場を細分化して、狙う市場や標的とする顧客を決め、どこにポジショニングをするのかといったことである。これは企業がビジネス活動を行う上では多かれ少なかれ必ずやっていることでもある。このことを少しシステム開発においても適用して考えてみたらどうかと言っているのである。 顧客や市場と言っても業種、業態といった括りではなく、会社が行っているビジネス活動領域を想定した方がよい。セグメンテーションではそこを定義していきます。以前、企業活動モデルというのを提示したことが

  • ITアーキテクト不要論(続き) (mark-wada blog)

    CIOもITアーキテクトも要らないよと書いた。言い過ぎのようにも思えるのだが書いていて別段トンデモナイことでもなく自分でも納得している。ただ、前回も言ったように全く要らないということではなく、業務システムを作る上では邪魔だと言っているのである。少なくとも、エンドユーザにとってはコンタクトする必要のない人種なのだとまたまた過激なことを言ってみる。 例の連載の2回目で基設計工程の5つの成果物を提示している。 (1)論理データモデル図 (2)パッケージ図(永続化視点) (3)パッケージ図(機能視点) (4)アーキテクチャー設計ドキュメント (5)アーキテクチャー評価ドキュメント これとて、ユーザの人たちはさっぱりわからないと思います。こんなものができたとしても自分たちの業務システムがどんなものになるのか想像がつくでしょうか。システムを作るため、あるいはシステム屋さんが実装の仕方として残しておく

  • ITアーキテクト不要論 (mark-wada blog)

    以前「CIO不要論」というのを書いたが、あの記事の趣旨は、ビジネス上重要なことはビジネスモデルからビジネスプロセスを設計して、それをどうやってオペレーションするかにかかっているわけで、ここはCIOの仕事ではなくCOOの仕事であり、ITは所詮道具だからオペレーション側の人間が使いやすいものを選ぶだけの話だということであった。 それと同様な意味でITアーキテクトといわれるような人も不要だと思うのである。ただ誤解してもらっては困るのですがあくまで業務システム構築のところの話です。そんなことを思った直接の理由は、ITProの記事の「ITアーキテクトの視点」というコラムのなかの「ITアーキテクトは何をしているのか」という連載を読んだからである。 そこでは、システム開発の各工程における成果物を示し解説が加えられている。「要件定義」「基設計」「詳細設計」「実装・テスト」「保守運用・移行」というごくオー

  • ハーバード 白熱日本史教室 (mark-wada blog)

    ハーバード大学の授業というとマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が有名になったが、それに倣ったような「ハーバード 白熱日史教室」(新潮新書)が刊行された。著者は北川智子といって1980年生まれでハーバードで日史と数学を教えている。数学と日史という異質の領域で教鞭をとっているのも驚きだが、まだ30歳をちょっと過ぎたばかりの若さというのもびっくりする。 そんな彼女がどうしてハーバードの先生になったのか、大学でやっている日史の授業はどんなものなのか、ハーバードのクラス評価や大学生活の様子などを書いたものである。高校を卒業するとカナダの大学に留学する。そこで専攻したのが、数学と生命科学である。ところが、大学院では日史専攻となるのである。もうこのあたりから、一般の人とは違う秀才ですよね。 日史を専攻するきっかけは、数学科の学生なのだが日語が読めるというだけで日史の教授のアシ

  • 建設業界とIT業界 (mark-wada blog)

    例えば、IT産業は建設業を似ているが、建設業に比べて日IT産業はなぜこんなひどい状態なのだろうかという議論がある。確かに業界構造的は似ているかもしれないのだが、当に共通項として括っていいものだろうか。括れなかったら何が違うのだろうか。その違いから何かが見えてこないだろうか。 その前に一言でIT業界といっているが様々で、普通は「インターネット業界」「パソコン、その他ハードウエア業界」「ソフトウエア業界」「通信関連会社・プロバイダ」といったジャンルに分けられます。ここでは、「ソフトウエア業界」のことを言っていますので間違わないようにしてください。ソフトウエア業界でもさらにソフトウエアそのものを作っている企業とソフトウエアを使って業務システムなどのアプリケーションを作っている会社とに分かれますが、後者のようなアプリケーションを作っている領域に焦点を当てることにします。建設業も同じようなので

  • ヒューゴの不思議な発明 (mark-wada blog)

    映画人が映画を題材に映画を撮ると映画批評家や映画好きから賛辞が送られ映画賞をとったりする。それが、一般の観客に受けるかというと必ずしもそうはいかない。どうしても、オタクっぽくなるからである。「ヒューゴの不思議な発明」は、巨匠マーティン・スコセッシが世界初の職業映画監督と言われたジョルジュ・メリエスへのリスペクトを込めて作られた作品である。映画好きにはたまらないが他の人にはそう評判になったわけではない。 ジョルジュ・メリエスというのは1861年生まれのフランス人でまだ映画が登場して間もない頃のリュミエール兄弟の作品を見て自分で映画を作りだす。元々は、マジシャンであり、劇場を経営して人気を博していた。彼のもっとも有名な作品は、1902年に公開された「月世界旅行」で、ちゃんとしたストーリーもありカラーにもなっているという画期的な作品であった。映画歴史なんて調べてみると必ず登場する。 1930年

  • 作ることと使うことの違い (mark-wada blog)

    コンピュータソフトウエアに関係していると、ソフトウエアにも性格が違うものがあってそれを混同している節に出会うことがある。性格の違いというのはどういうことかというと、簡単に言うと何かを作るためのソフトウエアなのか、それともそれを使って何かアクションするためのものかである。 ちょっとわかりずらいので例をあげて説明する。ドローイングツールというのがある。Visioみたいなお絵かきソフトです。この手のソフトウエアは、図面とかカタログとか書類みたいなものまで、要するにオブジェクトを作り上げて終わりみたいなものです。つまり、静的なものを起こすためのツールという位置づけになります。 一方、図を書きながら絵を描きながら、字を入れながら何かのアクティビティを行うというためのソフトウエアが必要となります。これも例で言うと、マインドマップというツールがあります。あれは、マインドマップを書くというのが目的ではなく

  • クラウド時代の業務システム・・・クラウドとは (mark-wada blog)

  • 再び、ノマドについて (mark-wada blog)

  • たまには人生論でも語ってみるか (mark-wada blog)

    この間53年ぶりに小学校4年生のときのクラス会を開いたことを書いた。あのあと、86歳になる恩師の先生から丁重なるお手紙をいただいた。そこには、当日の感動が記してあるが、それに続いて「日は皆さんひとりひとりから小学校、中学校、高校は、仕事や大学は、どんな仕事にどんな人と世帯を持ったのか、そして今を伺いたかったのですが・・・」とあった。そうした人生論のようなものを求めているとのこと。 その手紙に触発されて自分の50年史を考えた。するといつのまにか“小学校を卒業すると”という書き出しで綴り始めていた。そして小学校を卒業してからの50年で経験したことや思ったことを認めたものを手紙として出そうかどうか迷ったのであるが、一昨日、先生あてに投函したのである。 やはり50年というと書くことがいっぱいあり過ぎる。このブログの「男の伝言板」とか「極私的年代記」(ここに出てくるK先生が4年生の時の担任です)に

  • リスクに背を向ける日本人(続き) (mark-wada blog)

    「リスクに背を向ける日人」(山岸俊男、メアリー・C・プリントン著 講談社現代新書)についての続きです。「どこで自分を探すのか?」では、ハーバードに留学している日人が2008年度ではたった5人だという話から始まって、ロスジェネと呼ばれる若者に言及する。 ここで出てくるのが「自分探し」である。ぼくもこの言葉があまり好きになれなくていたが、山岸さんがこんなことを言ってくれたので賛同です。まさにそうですよね。 自分探しをする若者たちは、「ほんとうの自分」というものがあるはずだと思って、それを探そうとしていて、「ほんとうの自分」を見つけることさえできれば、何をしたいか分かるだろうと。でも、そもそも「ほんとの自分」がどこか心の奥底にあると考えること自体がおかしい。「ほんとうの自分」はそこに「ある」ものではなくて、「作る」ものなんだから。 「決められない日人」といういのは、決められない日人の弱点

  • 日本企業にいま大切なことを見直す(2) (mark-wada blog)

  • 書くことについてちょっと考えてみた (mark-wada blog)

  • イノベーションにはITが不可欠 (mark-wada blog)

    先週のテレ東のカンブリア宮殿でアニコムホールディングスという会社の創業者の小森伸昭さんという方が出ていた。この会社はペット保険という新しいジャンルの保険を開拓して急速に伸びている会社である。社長の小森氏は京都大学経済学部を卒業して東京海上に入ったエリートであるが、31歳で脱サラして会社を起こしたのである。 普通に考えるとずっと居れば将来を約束されていたにもかかわらず、茨の道を選んだわけだが、その理由が「保険会社はただ保険金を払うだけでいいのか、せっかく持っている事故などの情報を生かす方が、付加価値を生めるのではないか」と考えたことにある。 これまでの保険会社というのは、保険金を払っていさえすればいいとしか考えていない、つまり保険加入者である顧客のことなんて知らないでよくて、あわよくばできるだけ保険金を払わないですむことを考えていたわけである。それを、保険に入る人も保険金を払う保険会社も両者

  • 中小企業のことをわかっているのでしょうか? (mark-wada blog)

    ちょっと前のITmediaの記事に「中小企業のIT化、スマホやクラウドに注目集まる――矢野経済研究所調べ」というのが載っていた。目にしたとき思わず“ウソでしょう“と叫んでしまった。中小企業の人がそんなことを思っているのかと驚いたのだが、案の定調査の対象がソリューションベンダーであった。 調査は2011年9月から11月にかけて、中小企業のIT化について実績がある全国のソリューションベンダーを対象に実施したものだそうだが、これは事実ではなく単なるベンダーの願望でしょう。最近はIT投資が減速しているから、比較的未開拓である中小企業を攻めようとしているようなので、煽っているだけのように思える。 このところ中小企業のIT化に関係することが多く、実態がけっこう見えてきているのだが、中小企業の7割にスマホの需要があるとは思えない。何のために、何を見たいからスマホを使うのだろうか。その前に会社のパソコンで

  • IT再考-魅力的なWhatを提供できているのか? (mark-wada blog)

    前回、“WhatはHowに優先する”ということを強く訴えた。ということは別な言い方をすると、システム側としてユーザが欲しがるようなWhatを提示できていないことを意味していているとも言える。だから、Howで勝負しようとする。どんなものが欲しいですかとユーザに聞いて、そのとおりうまく作ってやりますよというのが売りになる。 そして、作ったはいいがあまり使われないと、あなたたちがちゃんとどんなもにしたらいいか言ってくれないからこうなったと言い張るのである。そこには表面上はそうは見えないのだが、奥底にはルサンチマンの響きがあるよう感じてしまう。つまり、自分たちは弱者で強者であるユーザを恨むようにも思えるのだ。 システム屋として一生懸命説明してもなかなかユーザに分かってもらえないという嘆き節もよく聞こえるのであるが、ほんとうにユーザがわかるものを提示しているのだろうか。もちろん中には適当な要求であと

  • 人はなぜ逃げおくれるのか (mark-wada blog)

    このように「○○はなぜ○○なのか」というタイトルをつけたは多く出てきているが、安易すぎてあまり好きにはなれない。内容とそぐわないこともあるので気をつけないといけない。「人はなぜ逃げおくれるのか」(広瀬弘忠著 集英社新書)はもっとまともなタイトルをつけた方がいい良書である。 実は、時宜を得たのように思えるが、2004年に発刊されたもので、この震災で急遽増刷したようだ。でも第10刷だからかなり売れたのようだ。著者の広瀬弘忠さんは、災害心理学が専門の東京女子大教授です。災害と人間や災害の予知、パニックと、そして生きのびるために、さらに災害からの復活などについて、豊富な事例調査から論述している。 このが今回の震災の様相を予見したかのような文章に驚かされる。そんなことを思いながら内容を追ってみる。 単に災害因があっても災害ではなくて、そのインパクトが環境に変化をもたらして初めて災害となる。で

  • 規模とリスクの経済学 (mark-wada blog)

    今回の原発事故は、その死者の数といった尺度では測りきれない心理的なところも含めた影響の大きさ、広さが甚大であるが故に大きな問題になっている。実は、茨城や千葉の石油化学コンビナートでもかなり大きな事故につながっていると思うのだが、ぼくたちの目に触れられていない。もし、こうした大震災ではなく、単独で起きたら大きなニュースになっていただろうと思う。 ただそちらの方は爆発、燃焼ではあるが被害が局所的で人体への影響という面では少ないから、放射能という目に見えない恐怖をまき散らす原発とはこのあたりがだいぶ違う。工場やタンクの爆発ではそこで働いていた人が死んだりするが、今回の原発事故で誰も死んでいない。しかし、こちらの方がおそろしく感じる。 まあ、これで当分日では原発ができないだろうが、それが世界中で原発やめたとはならない。代替策がないからである。そうなると、いかに原発の安全性を高められるかということ

  • ビジネスエンジニア育成講座(22) (mark-wada blog)

  • 経験というもの (mark-wada blog)

    ちょっと前のうちの社長のブログで経験について書いてあるが、まだ30歳前だというのにえらそうに経験なんて言うのは早いぞと言おうかと思った。ところがよく考えてみるとただ単に齢を重ねるのが経験でもなんでもないというこことに気がつく。つまり、年寄りだからより多くの経験を積んだということではないと思うのである。では経験というのは何なのだろうか。ここからはぼくの勝手な三段論法である。 経験は失敗の数である。 当たり前だが、人生には成功も失敗もつきものである。しかしその前に成功も失敗のない生き方もあるような気もする。だから、まずは、成功も失敗もあってこそ経験である。そのなかで、失敗が経験の数と言っているのは、成功と失敗の数で失敗のほうがはるかに多いからである。 成功というのは長続きしますが、失敗はすぐにリカバリーしようとします。一回の成功でそのまま人生を終えることはあまりないかもしれませんが、かなり長続