『麒麟がくる』で見た本能寺の変。 その本能寺の変の数か月前、天正(1582)年2月20日(旧暦1月28日)、天正遣欧使節の一行は長崎を出港しました。 440年前の今日です。 九州のキリシタン大名、大友義鎮(宗麟)、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団です。 4名の少年たち、派遣当時の年齢は13~14歳だったといわれています。 伊東マンショ(主席正使) - 大友義鎮(宗麟)の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。 千々石ミゲル(正使) - 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。後に棄教。 中浦ジュリアン(副使) - 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るしの刑によって殉教。2007年に福者に列せられる。 原マルティノ(副使) - 後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。 Wikipe