かつて、満州(現中国東北部)の日本人に親しまれた唱歌(満州唱歌)があった。その数は百曲以上。大正の終わりから昭和にかけて北原白秋、山田耕筰、野口雨情といった内地(日本)の巨匠や園山民平に代表される満州在住の音楽家が競って唱歌を作り、満州の学校現場へと送り出したのである。 ただ、戦後、間もなく六十年。もはや満州唱歌を知る人も少なくなった。また、自虐史観に支配された戦後教育の影響で、「満州」のことを封印せざるを得なかった、という人もいる。いずれにしても、満州唱歌は、やがて消えてゆく運命にあったに違いない。 だが今年初め、産経新聞に届いた満州出身者からの、たった一通の投書が、満州唱歌を見事に甦らせることになった。そこには満州で暮らした日々に重ねた唱歌の懐かしい思い出が綴ってあった。紙面に掲載すると、大反響になって返ってきた。一通の投書が、満州で生まれ育った人たちの記憶を呼び起こし、心を揺り動かし
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