ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (88)

  • W・マッケイ(5)世界最初の怪獣映画: たけくまメモ

    大作『沈みゆくルシタニア号』のあと、マッケイは手間のかかるペーパーアニメをやめ、セルアニメに切り替えた。初めての格的セル作品は『ケンタウルス』(1919頃/部分のみ現存)ではないかと思われる。『ケンタウルス』は、その存在こそ知られていたものの、永らく幻の作品となっていた。ネガが紛失し、プリントも失われていたと思われていたのだ。 ところが近年になって、ある倉庫にフィルムが眠っていたのが発見された。しかし保存状態が悪く、缶を開けたとたんにフィルムの大半が粉となって飛び散ったという。フィルムが癒着し固形化していたうえに衝撃を与えてしまったこと、そして半世紀ぶりに急激な外気にさらされたことによる悲劇であった。 現存する『ケンタウルス』は、残ったフィルムを注意深く修復したものだ。断片なのでおよそ2分ほどしか残っておらず、ストーリーはよくわからないが、若いケンタウルスの男女とその子供、そして年老いた

  • W・マッケイとアニメーションの始原(1): たけくまメモ

    ウィンザー・ゼニス・マッケイ(Winsor Zenas McCay)はアメリカン・コミック史における最初の、そしておそらくは最大の天才である。代表作『夢の国のリトル・ニモ』(Little Nemo in SlumberLand,1905~14)は、その圧倒的な美しさと幻想的なイマジネーションで、百年前の作品であるにもかかわらず、今もなお、世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続けている。 マッケイはまた、史上最初期のアニメーターでもあった。1910年に完成した第一作『リトル・ニモ』(公開は翌'11年)は、ストーリーもなく、自作のキャラクターをただ動かしただけの実験作であるが、その端正な作画と優雅なアニメート、華麗なイマジネーションはすでに完璧の域に達している。まさにこれは、アニメーション百年の幕開けを言祝(ことほ)ぐにふさわしい、奇跡の映像といえるだろう。 マッケイは1871年ミシガン州の

  • スポンサー付きのマンガについて: たけくまメモ

    もう昨日なんですけど、精華大での俺の講義「マンガプロデュース概論」に元小学館編集者の武藤伸之さんをゲストでお呼びしました。武藤さんと俺はかなり昔からの知り合いで、たぶん23年くらいになります。実は一緒に仕事をしたことはないんですが、スピリッツとかヤングサンデーとか、同じ雑誌で仕事をしていましたから、編集部ではしょっちゅう顔を合わせていてよく知っているんですけどね。 それで、授業では武藤さんが80年代はじめに小学館に入社してから、「殺し屋イチ』の山英夫さんなどとの仕事の話をメインに「マンガ編集者の仕事」についていろいろ伺ったんですが、後半は例によって現在の「マンガ不況」の話になりまして、武藤さんがこの春小学館を辞めて別の会社で新マンガ雑誌を創刊することになったいきさつ(現在準備中)などを伺いました。学生にはちょっとディープな話になったかも。 http://www.shogakukan-cr

  • マンガ原稿紛失とその賠償額について: たけくまメモ

    ↑魔法なんて信じない。でも君は信じる。 () えー、これは珍しいですよ。どう珍しいかと言いますと、マンガ家が入稿前の生原稿を編集者に紛失され、その顛末をマンガにして出版したという、たぶんマンガ史上初めてのだからです。 俺がくどくど説明するよりも、アマゾンに掲載されてある担当編集者(このの)が書いた内容解説を添付したほうがてっとり早いと思います。 【内容紹介】 描き下ろしマンガ原稿が、出版前に67ページまるまる紛失!! この史上最大規模の原稿紛失事件の当事者が、顛末そのものをマンガ化!!!!! さらに気鋭の批評家・大谷能生氏による論考も併せて、この事件から見えてきた「マンガ」というメディアの質に迫る!!!! ●マンガはどのような要素によって描かれているのか? ●コピーされることによって広まる/力を得る作品の特徴 ●20世紀のポピュラー文化の再考と、そのなかに位置づけられるものと

  • 30日、難波でのトークライブ「マンガの黙示録」が近づいてきました: たけくまメモ

    えーと、この4月30日、午後7時半開場で行います大阪・難波のライブハウスmontageでのトークライブ「竹熊健太郎が語るマンガの黙示録」の開催が近づいて参りました。内容はかねがね「たけくまメモ」で語ってきたことがベースになっていますが、ここにきて佐藤秀峰さんが自身のブログで業界批判を繰り返したあげく、業界との訣別宣言ともとれるエントリを書くなど、マンガ界はいよいよ凄いことになってきています。そのあたりの話も、俺の立場からたっぷりするつもりです。 昨年の雷句誠さん事件につづき、佐藤秀峰さんの「事件」も、ともにエキセントリックな作家の個人的な行動だと済ませる向きがあるとすれば、おそらくそれは間違いです。マンガ界は、いや出版界全体がそうなのですが、業界の枠組みそのものが崩れる瀬戸際に立っていると俺は思います。 げんに俺は、名前を出せば「へえ、あの人が」と驚かれるような某マンガ家が、現在抱えている

  • 定額給付金をどうするか: たけくまメモ

    うちにもついに来ましたね。いや給付金そのものではなく、申請用紙ですけど。一人12000円ですから、俺のぶんと父親のぶんで、あわせて24000円。(※)微妙な金額ですね。お小遣いとして考えればまあまあですが、生活費として考えたら微々たるもの。まあしかし、用紙に名前書いてハンコ押して、あとは保険証と預金通帳の写しをつけるだけで、お金を振り込んでくれるというのですから、早速記入してポストに入れてきました。 ※ 父親は76歳なので、8000円プラスされてトータル32000円でした。 得したような、でも考えてみれば原資は税金なのだから、単に取られたものの一部が還付されるだけであり、どこまでも微妙な気分です。とりあえず、くれるものはもらってしまえという、庶民としてはしごく当たり前の行動に出てしまいましたが。 これってあれでしょう。来る総選挙を睨んだ、麻生さんの有権者に対するご機嫌とりなんでしょう。だか

  • 米沢嘉博記念図書館と明治大学の野望: たけくまメモ

    かねてより噂されていました、明治大学が設立する「米沢嘉博記念図書館」の公式サイトがオープンしましたのでお知らせします。(今回はウェブサイトのオープンであって、図書館そのものは今年の夏に開館予定です) http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/index.html ↑米沢嘉博記念図書館TOP 2006年に惜しくも逝去された故・米沢嘉博氏の業績(マンガ評論・コミケット代表等)を記念し、明大OBでもある米沢氏が生前に蒐集した段ボール数千箱とも言われる膨大なマンガ・サブカルチャー書籍を中心に、現代マンガ図書館等の協力も仰いだ日有数のマンガ図書館として明治大学が正式に設立するものです。 これに先駆けて2008年に明治大学は、マンガとサブカルチャー研究をその中心に据えた国際日学部を開設し、マンガ評論家の藤由香里氏・建築学者でオタク・秋葉原研究家の森川嘉一

  • 「まことちゃんハウス」内部写真・解禁!: たけくまメモ

    ←楳図邸外観。 何人もの通行人が「わ!まことちゃんハウスだ!」とケータイで写真を撮っていた。すっかり吉祥寺の観光名所となっている。 おととい16日、フジテレビの『とくダネ!』にて、噂の楳図かずお先生の新居「まことちゃんハウス」の内部が初公開されましたが、ご覧になった方もいらっしゃると思います。 これを受けまして、俺が2月1日に参加した「楳図邸新居完成披露パーティ」の際に撮影した内部写真の公開が解禁されました。なので一挙掲載したいと思います。披露パーティを仕切っていたウメズドットコムの人から、「新居がマスコミで公開されるまでは、ブログ掲載は控えて欲しいと楳図先生は希望されている」とのことでした。 http://umezz.com/jp/ ↑UMEZZ.COM ここに掲載いたしましたのはすべて俺がデジカメで撮ったものですが、素人写真であることもそうですが、改めて確認しましたら「あ。あの大事な部

  • 祝・手塚治虫『新宝島』完全復刻!: たけくまメモ

    ←完全復刻版 新寶島 豪華限定版 かねてから噂だった、手塚治虫の出世作『新寶島(新宝島)』の完全復刻豪華限定版が出ましたよ。復刻といえばもちろんこの会社、小学館クリエイティブです。マンガとしては戦後最初のベストセラーで、戦後マンガはこの作品から始まったとまで言われる作ですが、刊行当時のままの状態で復刻されたのは今回が初めてです。 もちろん書はその歴史的価値から、復刻の話は何度もあったのですが、ことごとく手塚は退けていました。理由は手塚自身いくつかあげているんですが、公式見解とは別に、実は「原作者」であるマンガ家・酒井七馬との確執が大きかったのではないか、と考えられております。 手塚は終戦直後に、関西マンガ界の大御所であった酒井七馬の主催する同人誌「まんがマン」に参加しました。戦時中、手塚は長編マンガ『オヤヂの宝島』(未完)を発表のあてもなく執筆しており、これを見た酒井が、出版社を紹介す

  • リアル「バクマン」な話: たけくまメモ

    そういえば確定申告の受付ってもう始まっているんですよね。 しまった。何にもやってない。昔、一瞬青色申告やろうと思ったことがあったんですが、結局面倒くさいからずっと白色申告です。それも文筆家は5割までは必要経費が認められるってんで、アバウトに5割経費で。一応領収証も保存しているんですけどね。面倒臭いから整理もしないで段ボールにぶち込んでます。 それでも、今のところ税務署から何も言って来たことがないので、まあ、これでいいのかなあと。 今年は4月から大学の給料が入りますし、厚生年金とかにも入るので、この俺が生まれて初めてのサラリー生活ですよ。なんとまあ。しかしこの不景気ですから、将来どうなるかはわかりませんけどね。 精華大学では多摩美とは別の講義も持ちますんで、今、それのシラバスをヒーヒー言いながら作っております。通年の講義なので、なんとか30コマ分作らなければなりません。このあたりの話は、まだ

  • なんか、今ってすごい時代だよなあ: たけくまメモ

    今朝の8時なんですが、テレビをつけたら中川財務大臣辞任のニュースをやっていて、それ見ながらこのエントリを書いております。俺も昨日の明らかに酔っぱらった記者会見を見て、「やっちまった」と思いましたので、結局辞任したことには納得なんですが。 それはともかく、中川さんって、こないだお亡くなりになった役者の峰岸徹にちょっと似ていませんか。なんか、いつもカメラをにらみつけるような目で表情を決めている感じが似ていると俺は思うんですけどね。まあ役者顔といいますか。 それが、昨日の会見では明らかにタダのヨッパライで、その状態で世界に中継される記者会見に出たからみんな唖然としたわけですね。もともとアル中疑惑があった人のようで、テレビ政治評論家が「いつかやると思ってひやひやしていたが、とうとうやったか」みたいなことを言っていました。 当然、あの状態で記者会見やるなんて自殺行為だから、側近の誰かがなぜ止めなか

  • WEBマンガの新展開「HACK TO THE BRAIN」: たけくまメモ

    萱島雄太さんから「WEBマンガを制作しました」とのメールが来ました。見たら、これが面白かったのでご紹介します。 http://hacktothebrain.jp/ ↑HACK TO THE BRAIN 「HACK TO THE BRAIN」というタイトルで、FLASH制作によるデジタルWEBマンガです。WEBマンガに関しては、この「たけくまメモ」の初期エントリの頃から折に触れて紹介し、考察を加えていました。萱島さんは、そうしたエントリも読まれていて、完成した状態でこちらに連絡してくださったようです。 俺が興味を抱いたポイントは、俺がWEBマンガ(デジタルマンガ)の条件としてかねてから主張している「PC画面で読まれることを想定して作られたマンガ」の典型例だと思ったからです。あらかじめそれは「マンガとアニメーション、コンピュータ・ゲームの折衷表現」になることが予想され、ほぼそのままの要素が「H

  • 素晴らしき小僧寿司の壁紙: たけくまメモ

    小僧寿司チェーンの公式サイトにあった壁紙が大変に素晴らしいのでご紹介します。 http://www.kozosushi.co.jp/cm/index.shtml 小僧寿司壁紙プレゼント↑ なんと申しますか、うららかな春の陽光に照らされてこっちに向かってお辞儀をしているトレードマークの小僧さんは、まあいいんですけれど、その足下の地面からモグラとともに顔だけ出している小僧さんが形容すべき言葉が見あたらないほどいい味を醸し出しております。 この小僧さんは、もしかすると宇宙人か式神かなんかでしょうか。よくわかりませんが、さっそく俺はダウンロードしてマイPCの壁紙に設定しましたよ。 左の壁紙もなんともいえません。この小僧さん、お辞儀しているようで上目遣いでしっかりこっちにガンつけてますよね。腹に一物あるというか、決して心を開かないなにかがありますよ。いや別に、小僧寿司に含むモノはなにもありませんけど

  • 『ガラスの仮面』と『女犯坊』: たけくまメモ

    ←ガラスの仮面 43 出ました。前の42巻が出たときは、ちょうど「たけくまメモ」を開始した直後だったんですよね。2004年の12月18日でした。ブログ開設が14日でしたから、当に始まってホヤホヤの時期です。 http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/post_18.html ↑たけくまメモ「ガラスの仮面のアレ」 そのエントリで俺は「桜小路くんのケータイ問題」にさっそく突っ込んでおります。かいつまんで説明しますと、『ガラスの仮面』は1976年の連載開始以来、作品内時間が数年しか経ってないはずなんですよ。第一話で中学生だった主人公のマヤは、まだ20歳になるかならないかで、そこから考えても時代は1980年くらいのはずなんだけど、42巻で突然、ボーイフレンドの桜小路くんがなにげにケータイを使っているシーンが出てくるんですよ。それで、「ガラスの仮

  • 中野晴行「まんが王国の興亡」を読む: たけくまメモ

    マンガ評論家・中野晴行さんの新刊「まんが王国の興亡 なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか?」(イーブックジャパン)読了。著者後書きにもある通り、中野氏がwebマガジンをはじめいくつかの媒体で連載した文章をまとめて加筆したものです。全体の内容は、中野さんが以前出された『マンガ産業論』の続編となっております。 http://www.ebookjapan.jp/shop/special/page.asp?special_id=itv003 ↑まんが王国の興亡・告知ページ ●目次 第1部 まんが史クロニクル 第1章  まんが王国日はまんが誌から生まれた 『鋼の錬金術師』が繰り出すコンテンツビジネス錬金術 膨大な消費者に支えられるまんが産業 第2章  ジョー&飛雄馬とともに歩んだ高度熱血成長市場 雑誌がまんがの産業化をうながした マガジン&サンデーが牽引したまんが雑誌のビジネスモデル 雑誌と貸 ま

  • オタク第一世代の証言から: たけくまメモ

    昨日のエントリは反響がありました。ありがとうございました。コメント掲示板にもさまざまなご意見や証言が多数寄せられていますが、俺のmixi日記にもオタク第一世代の同業者から貴重な意見が寄せられました。そのうちアニメ評論家のロト(氷川竜介)さんと某大手出版編集者のボタQさんの証言を、人の了承が出ましたので転載したいと思います。 ●氷川竜介(ロト)さんの証言(アニメ評論家) 《 70年代中盤~末、80年代初頭の話を聞かれていると思うので、自分なりの体験を。 基的にオタクの源流になったのは1974年の「宇宙戦艦ヤマト」TV放送、1977年の劇場公開です。74年時にはヤマトの視聴率が悪いと知った年明け以後、高校で友だちとつるんで「みんなでヤマトを見よう!」的な紙を貼ったりしました。まあ、奇異な目で見られていたと思いますが、校風が幸いしてそれでいじめられるということはなかったと思います。 つまりそ

  • スカイ・クロラ見てきた: たけくまメモ

    先日『スカイ・クロラ』見てきましたが、その前の日に会った人が、押井ファンを自認していたにも関わらず口を極めて「つまらない」と連呼していましたので、どれだけアレなのかガクブル気分で見てきましたが、事前に原作も読まず一切の情報を入れず、期待値を下げて行ったのが功を奏したのか、わりと面白く見られました。 つうか、画面もカラーなのにモノクロみたいにわざと彩度を落とした色遣いで、コントラストがハッキリしない薄ぼんやりと霞がかかったような映像が続きますので、前半は確かに退屈な感じがしました。戦闘シーンはさすがに迫力がありましたが、基的には会話劇で、ところどころに地味ながらよくわからないセリフやシーンがある。こんな調子でこのまま終わるのかなあと思っていたら、後半になって、前半のわからない所が実は伏線だったりすることがわかってくる。それで最後にネタバレの長ゼリフがあって伏線が綺麗に回収されて終わるので、

  • 『バクマン。』のネーム原作について: たけくまメモ

    おとといの『バクマン。』の感想で、ひとつ書き忘れたことがあります。それは、主人公のサイコーが、相棒で原作志望のシュージンに向かって 「シュージンの書いたネームが面白いんだったら俺が絵にする」 と、マンガ家の立場から原作者に「ネーム」を求めるセリフが出てくることです。俺は、ここに時代の流れを強く実感しました。 今でこそ、「少年ジャンプ」を始め、多くのマンガ誌の新人賞に「ネーム原作部門」が設けられていて、ある意味では定着しつつある感もあるのですけれど、俺のようなロートルの業界人からすると、じつに隔世の感があります。 俺が「マンガ原作」を一番やっていた90年代中頃くらいまでは、「原作者がネームまでやる」例は滅多になく、仮にそういう志向を持った原作者がいたとしても、マンガ家や編集者に向かって「ネームをやらせてくれ」と言い出すのは、非常に気が引けるというか、一種のタブーというべきことでした。 なぜそ

  • マンガとアニメーションの間に(6): たけくまメモ

    ■京都精華大学連続講義レジュメ 第六回「マンガとアニメが融合する日」 講師 竹熊健太郎 ●「いつの日にか、カンザスの少女が、父親のビデオで「風と共に去りぬ」を撮る日が来るだろう」 この言葉は70年代後半、大作戦争映画「地獄の黙示録」制作中だったフランシス・コッポラがインタビュー中に述べた発言である。ふつう映画制作には莫大な制作費がかかるが、コッポラのような作家性が強い映画監督にとって、「自分の作品」を作るために数億から数十億におよぶ制作資金をどうやって調達するかが悩みの種であった。 「地獄の黙示録」はコッポラ畢生の大作であり、50億円に達したといわれる制作費を全額「自己調達」した「史上最高額のインディペンデント映画」としても話題を呼んだ。その制作中に受けたインタビューで映画制作の未来について訊かれ、つい「いずれ田舎町の少女であっても、自宅ガレージで大作映画が作れる時代がくる」という自分の「

  • マンガとアニメーションの間に(5-2): たけくまメモ

    第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(2) ●『NOTHING WILL BE AS IT WAS』に見る「反物語」 70年代大友の特徴がもっともよく現れている作品として、'77年の『NOTHING WILL BE AS IT WAS』をあげたい。この作品は、自室で口論になった友人を思わず殺してしまった主人公が、死体の処理に困って、ひたすら死体をバラバラにして「処理する」過程を描いた作品である。 この作品では、殺人事件を扱った犯罪ドラマがまず描くであろう「殺人の動機」や「殺人に至る過程」が一切描かれない。冒頭のコマからして自室の畳の上にゴロリと転がった死体のアップであり、その後の処分過程を綿密に、しかし淡々と描くのみである。さらには、犯罪の結果もここには描かれない。作品の中で、アパートの住民が主人公の挙動に不審なものを感じることが描かれるのみで、その後の犯罪の発覚や、逮捕の場面などもま