死にたいと言う人がいたから、ご希望の通りに死なせてあげました――。 何という安直さだろう。医師の倫理を論議する以前に、人間のあり方として、苦悩を抱えた人に接するときの姿勢として、どうなのか。 京都で発覚した医師2人による嘱託殺人事件は、グロテスクな様相を見せている。 2人は『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』という電子書籍で、「老人を、証拠を残さず(中略)消せる方法がある。医療に紛れて人を死なせることだ」と書いていた。 容疑者の1人である元厚労省医系技官は、ツイッターでこんな発信をしていた。 <議員定数を若干減らすよりも、尊厳死法とか安楽死法を通した方が財政は持ち直すと思うけど> <高度医療に当たる人よりも、適当なタイミングで死なせる医者が求められてるんだよ。自治体なんて後期高齢だの介護や障害福祉でまじカネないからね> 高齢者や障害者をお荷物と見る優生思想。医師の資格への思い上がりも垣間
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