テレ朝記者「セクハラ告発」と報道倫理 テレビ朝日の女性記者に対するセクハラ疑惑で、財務省の福田淳一事務次官が辞任した。「セクハラ告発」をめぐっては、官僚の資質や政治家の道義的責任、記者の報道倫理まで、議論はさまざまな方面に飛び火した。今回、iRONNAでは記者経験を持つ識者の論考を集めた。賛否が渦巻くこの議論を正面から考えてみたい。
2010年に初当選したとき、あるベテラン議員にこう言われたことを思い出す。「有田さん、国会議員って平気でウソをついていいんですよ」。あぜんとした。総理が解散時期について事実を言わないことはよく知られている。しかしいま問題となっている「加計(かけ)学園疑惑」については本筋の問題から離れても異常な状況が続いていることに注目するのは、どうも「ウソ」が横行していると思えるからだ。 文部科学省の前川喜平前事務次官が、「総理のご意向」「官邸トップの指示」などが記された内部文書を、実際にあったものと証言してからのことである。菅義偉(よしひで)官房長官は正式の記者会見で、この文書を「怪文書」だと表現した。信じるに足る文書ではないと公式に表明したのだ。しかしその一方で、口外を禁じるオフレコ発言では、前川氏が文書をリークしたと名指しで語っていた。ダブルスタンダードである。しかも発言はさらにエスカレートした。
アニメ『この世界の片隅に』は、間違いなく昨年公開された映画の中で傑出した作品のひとつであった。すでに同作品については、アニメそして原作の双方について鋭利な論評が公表されている。 マンガ批評家の紙屋高雪による論説「『この世界の片隅に』は「反戦マンガ」か」(『ユリイカ』2016年11月号)は、こうの史代の原作を反戦マンガの系譜に位置づけ、「空襲で失われるものは何か」を物質・精神的な面で描き、その喪失と再生を物語ったとする。また評論家の藤津亮太は「アニメ史の中の『この世界の片隅に』」(同)で、広島、呉双方の歴史的背景や風景の詳細な描写が本作だけの孤立したものではなく、日本アニメの積み重ねの中で実現したこと、そしてこのドキュメント的な描写ゆえに、観客が現実(リアル)と物語(虚構)とを自在に行き来する想像力を可能にしていると指摘している。両評論をよむことで、『この世界の片隅に』が日本の文化史の“片隅
福島の被ばく報道はデマだらけ 福島の低線量被ばくをめぐる報道は、実に嘆かわしい。日本社会の知的劣化と言わざるを得ない状況だ。活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。
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