子供の頃から地図が大好きで,暇さえあれば地図を見ていました。その中で,日本地図の北の端にわずかに顔を出す陸地,それが不思議でした。 やがて,それが樺太(サハリン)とか沿海州(プリモーリエ)と呼ばれる所で,「ソビエト連邦」という外国の一部であることを知り,子供心に「外国とは近いものだなぁ」と感動しました。しかし,当時は冷戦真っ只中で,その土地に何があるのか?どんな街があるのか?など情報として接することはなく,深い謎に包まれた地域でした。 当時はこの地域のことで,最も新しい情報といえば,毎日NHKラジオ気象通報で読まれる「シスカ」「ハバロフスク」「ウラジオ」などの気象データぐらいだったでしょうか。ソ連からの日本語ラジオ放送もありましたが,多分に宣伝(プロパガンダ)の要素がありました。 何があるか全く分らないことが,却って恐怖感を煽り,「暗くて怖い所だ」と勝手に想像していました。 そんな怖いもの
古い話も今の話も、それでもやっぱり、ずっと日本! Truly, honestly, DEEPLY JAPAN! ウクライナはどうやって現在の姿になったか。国家としてのウクライナはソ連崩壊に伴い1991年に成立した。ではその前は?というお話。 アメリカのサイトで拾った図。 この図が示したいのは、 ・ウクライナというのは現在の領土を持った国ではありません ・ロシアまたはソ連が強権的でなかったら、ウクライナの領土は多分増えてません ではなかろうかと思う。多分、ロシア人による情報戦の資料投下なんでしょう。 で はなんでそのようなことをしないとならないかというと、西部のウクライナ人たちが、ウクライナはずっとウクライナでロシア人が後から入って来た、侵略してる、ってなことを強く主張しているからだと思う。つまり、東のロシア系住民には正統性がない、とか言っちゃう人たちが結構いるんです。 私自身、北米のウクラ
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[6.6 国際親善試合 日本4-3ザンビア タンパ] ワンチャンスに懸けていた。後半44分の失点で3-3の同点に追いつかれた瞬間、ウォーミングアップしていたMF青山敏弘はベンチにいるアルベルト・ザッケローニ監督と目が合った。 「ベンチから監督がこっちを見た瞬間、絶対に自分だと思った。呼ばれる前に走って(ベンチへ)行った」 時間がない。指示も何もなかった。それでも、指揮官の意図は理解していた。日本ボールでキックオフ。パスを受けた青山は、前線で斜めに走り出したFW大久保嘉人を目がけてハーフウェーライン手前からボールを蹴り出した。 「アオ(青山)がずっと見ていたから、出してくれるのかなと思った。(ボールをトラップして)タメたから、裏に走ったらバシッと来た。よく出したね。出てこないと思った」 右足のワントラップから左足で決勝点を決めた大久保も驚嘆したロングフィード。ファーストプレーでの決
英国国王(現在は女王)の臣下として認められれば下されます。 これは英国籍以外でも下されます。 エベレスト初登頂で有名なサー・エドモンド・ヒラリーはニュージーランド国籍です。(ニュージーランドは名目上、「英連邦」に属していますが…) ky_r_ie2001さんの挙げられたデイム・キリもニュージーランド国籍です。(ちなみにショルティはサー・ジョージです!) Wikipediaにありますよ! サー・デイムの称号はCBE以上の叙勲を受けたものですから、現在までの日本人は以下の通りです。 KBE(ナイトコマンダー)/DBE(デイムコマンダー) 竹下勇(海軍大将 国際連盟海軍代表) 有吉義弥(日本郵船会長) 野津謙(日本サッカー協会会長)(1970) 池田芳蔵(三井物産会長)(1981) 平岩外四(東京電力会長)(1987) 盛田昭夫(ソニー会長)(1992) 千野宜時(大和証券名誉会長)(1992)
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