2017/8/15 11:40 五百蔵容 2006年の広島での監督就任から、実質12年。2012年から浦和に居を移し、その圧倒的な攻撃スタイルでJリーグに旋風を巻き起こしたミハイロ・ペトロビッチ監督の冒険は、7月30日で一旦幕を下ろしました。今後彼がどのような進路をたどるにせよ、Jリーグに”ミシャ式”がもたらした大きな影響を総括することは不可欠。分析力に定評のある、五百蔵容(いほろい・ただし)さんに総括を依頼しました。(文・図表:五百蔵容) さる7月30日、浦和レッドダイヤモンズは2012年シーズン以来同チームを率いてきた、ミハイロ・ペトロビッチ監督の契約解除を発表しました。今回は、サンフレッチェ広島監督時代から数えて12年、独自のサッカー哲学に基づき同監督が作り上げJリーグを席巻したユニークな攻撃戦術を振り返り、彼が残した正負両面の影響について考えてみたいと思います。 <ミシャ式>の基
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