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ブックマーク / taharasoichiro.com (3)

  • 原発設計責任者の生の声を聞いた – 田原総一朗公式サイト

    4月3日の日曜日に、孫正義さんの主催で原発設計者を招いて原発問題について熱く語った。 一人は、元日立の人で、福島原発の圧力容器を作った田中三彦さん。 その外側の格納容器設計の責任者で、元東芝の後藤政志さんがもう一人である。 何が一番問題になっているのか。 1985年、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した。 どうして墜落事故が起きたかと言うと、日航機の垂直尾翼が崩落したためである。 垂直尾翼がなくなれば、パイロットはどうすることもできない。 田中さんと後藤さんの話だとそれと同じ。 東京電力はパイロットである。運転しているだけで、作ったわけではない。 作るのは東芝や日立であって、東電は運転するだけ。 だから、どこかに欠陥があるかわからない。 この問題が大きい。 実は、日立や東芝は福島の原発を作った後、2度3度、東電に注文している。 「ここを直したほうがいい」「ここはまずいのでは」と。 ところが東

  • 一致団結して国難を乗り越えよう – 田原総一朗公式サイト

    この度の東日巨大地震で被災された皆様へのお見舞いと共に、 犠牲者の方々へ心よりお悔やみを申し上げます。 この東日巨大地震は、我ら世代が体験した「二度目の敗戦」だ、 と僕はとらえている。 一度目はアメリカとの戦争に負けたこと。 そして、今回は大自然との戦いに負けた。 マグニチュードは9.0で、阪神大震災の約1500倍もの エネルギー規模だったと言う。 「1000年に一度」の災害とも言われている。 世界全体をみてもワースト5に入るだろう。 場所もよくなかった。 津波の被害がすごかった。 青森、岩手、宮城、福島、茨城など8県で被災者の数は当初約60万人、 死者の数は約3万人に上ると政府幹部は予想していたらしい。 僕は、これは未曾有の国難だと思う。 なんとか一致団結して、この国難を乗り越え、立ち直るしかない。 「第一の敗戦」から立ち直った日人には、 この「第二の敗戦」を乗り越え、復活しうる力

  • 戦争に熱狂した新聞・ラジオ – 田原総一朗公式サイト

    日中戦争や、太平洋戦争で新聞やラジオが戦争を煽るように書き立てた事が、 今問題になっている。 新聞が戦争を礼賛し始めた最初は日露戦争である。 日露戦争の始まる前、実はほとんどの新聞が戦争反対だった。 ところが戦争が近づくと戦争反対の新聞はどんどん売れなくなった。 経営が危なくなった。 そこで、どの新聞も戦争礼賛に転向した。 特に萬朝報は最後まで戦争に反対したが、 倒産の危機を迎えて結局戦争賛成に変わった。 これをきっかけに戦争が近づくと、日の新聞は戦争を賛美するようになった。 満州事変、日中戦争の時もメディアは戦争礼賛になってしまった。 戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。 そこで大新聞がみんな戦争礼賛になると、雑誌や小新聞に対して 政府は過酷な弾圧を加えるようになった。 それでも反対すると、監獄にぶちこむ。 こういう状態で太平洋戦争を迎えるのである。 もちろん新聞社の中にも、

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