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歴史と人物に関するtatsunopのブックマーク (21)

  • 「ナイチンゲール 神話と真実」について(再掲) - chitoseの雑記帳

    ナイチンゲールについて、書く、書くといいながら、ずっと先送りになってきた。 その理由のひとつは、これを機会にいろいろ調べる必要があることが連鎖反応的に出てきたからである。 結局、公衆衛生学の歴史から細菌学黎明期の歴史までいろいろ調べる必要が出てきた。 しかしの記事は、その「前編」として、スモール著「ナイチンゲールの神話と真実」(田中京子訳 みすず書房)のおおよその紹介としたい。 「後編」は、ナイチンゲール自身の「看護覚え書き」の時代的限界と、それにもかかわらず今日にも通じる、公衆衛生学、細菌学、薬との兼ね合いの問題について述べる予定である。 ナイチンゲールがクリミア戦争(1854-6)に従軍して、コンスタンチノープル近郊のスカタリ(スクタリ)の病院で、史上初の「修道女ではない看護婦の一団」を統率し、クリミア半島の最前線から次々送られてくる数多くの傷病兵を看護したことは、戦争中からイギリス

    「ナイチンゲール 神話と真実」について(再掲) - chitoseの雑記帳
    tatsunop
    tatsunop 2016/03/31
    「衛生改革を主導したのがナイチンゲール自身の業績」「実態は、戦地から帰還して「図らずも」認めざるを得なかった「予想外の現実」」 完璧な人だったというよりは説得力はあるなぁ。
  • TORI MIKI'S BLOG: 小山田いく氏のこと

    僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ

    tatsunop
    tatsunop 2016/03/28
    告悔のような思い出話。/ そういえば今は雑誌自体でも割りと横の繋がりもあるよなぁ。合同サイン会とかコラボ企画とかもあったし。
  • ドラえもんに必ずしずかちゃんのお風呂シーンがあるのは何故と問われ、藤子・F・不二雄はどう答えたか - エキサイトニュース

    《先生、ドラえもんには必ず、しずかちゃんの入浴シーンが出てくるけど、先生はスケベなの?》 「ドラえもん」の作者・藤子・F・不二雄(藤弘)にあるとき、こんな質問がぶつけられたことがあった。それは、「大人だけのドラえもんオールナイト」というイベントでのこと。 このイベントは毎年春のドラえもん映画の新作の公開にあわせて、過去の作品をいくつか朝まで上映するというもので、1985年より始まった。藤はそこで原作者としてあいさつに立っていた。 観客はもちろん18歳以上ばかりで、小中学生はいない。集まったなかにはスーツ姿の人やオタクっぽい人もいたものの、それ以上に革ジャンを羽織り、腰から鎖をジャラジャラさせた柄の悪い連中が目についたらしい。先の質問は、あいさつが終わったとき、ふいに客席から飛び出したものだった。それに対し藤は笑いながら、こう切り返したという。 《君たちと同じです》 それからしばらく観

    ドラえもんに必ずしずかちゃんのお風呂シーンがあるのは何故と問われ、藤子・F・不二雄はどう答えたか - エキサイトニュース
    tatsunop
    tatsunop 2014/09/28
    反表現規制的な話ではある意味最大功績の一つでもあるよなぁ。/ 結果的に一番長く続いてるという。というか他作品は実写以外はもう子供に知られてないのかも。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「巴御前は、木曽義仲の「妻」じゃなくて、「便女」なんですよ」というお話。 田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む

    田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む。 中身は実にまっとうな。 信じられないかもしれないが、実に、まともだw 清少納言は、高慢ちきな女として一般に思われているけど、実際の所、彼女が『枕草子』に書きたかったことって、中宮を中心とするサロン文化であって、自分の自慢話でも何でもなかったんだよ、と著者は言う(65頁)。 詳細は書を当たられたいが、確かにその通りだろう。 また、著者は、『枕草子』には随筆以外に短い物語も入ってるんだから、内容的には、「清少納言全一冊!」見たいな感じじゃないの、といっている。 『笑い飯全一冊』の隣に、『清少納言全一冊』がある光景を想像したw 何で古典なんぞ研究すんのか。 めんどくさいのに。 研究とはテクストに疑問を持つことから始まる、と著者は言う。 一見アタリマエに思えることに一瞬立ち止まってみる(104頁)。 それが、懐疑し、思考する力を培う(著者は、「脳力

    tatsunop
    tatsunop 2014/06/08
    つまり実戦も強いメイドさんだったと言えるわけで、各種ラノベやアニメとかで出てくる都合のいい設定も、ある意味歴史的経緯を元にしてると強弁できるわけか。
  • 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』というで明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書

    tatsunop
    tatsunop 2014/02/13
    どこの人が、と思ったら例の手記書いた津田信さんの息子さんでつまり手記をwebに上げてる当人だった。お父さんに当時その話をしたのかだけ気になった。
  • http://anond.hatelabo.jp/20130919170741 承前 斉藤由貴がデビューシングル『卒業』を..

    http://anond.hatelabo.jp/20130919170741 承前 斉藤由貴がデビューシングル『卒業』を発表した1985年2月、同名のシングルが他に2作、チャートインしていました。菊池桃子の『卒業』と尾崎豊の『卒業』です。毛色の違う尾崎は別にして、ここでは斉藤と菊池、斉藤版『卒業』と菊池版『卒業』を比較してみましょう。 「80年代女性アイドル格付」では私は斉藤を8位、菊池を9位にしましたが、記録上の実績では菊池の方が上です。菊池はオリコン1位のシングルを6枚出していますが、斉藤は『青空のかけら』1作のみです。ただし、1985年から1989年まで、年間の順位で菊池が斉藤を上回ったのは1985年のみで、菊池は1988年と1989年には年間100位以内にチャートインしていませんが、斉藤はしています。斉藤の方が息が長いアイドルだったことがうかがえます。 1985年は菊池の全盛期で

    http://anond.hatelabo.jp/20130919170741 承前 斉藤由貴がデビューシングル『卒業』を..
    tatsunop
    tatsunop 2013/09/25
    たしかにその3曲だと菊池桃子版だけすぐに出てこない感じ。
  • マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論

    80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論 マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論 マスダ女性アイドル論シリーズですが、今回で一応の区切りとなりますが、あともう一回、総論とお知らせを書く予定です。 人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミノヨウコとミナミダヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品な美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若い人からすればおばさん

    マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論
    tatsunop
    tatsunop 2013/09/25
    触れられてる中では一番好きだったなぁ。東宝系って意識したことはあんまりなかったけど、宗教系の話は聞いて距離を感じたことはあった気がする。
  • マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論

    80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論 南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画の代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。 薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性も男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性や学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代において現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは当に「あるがままの私」ではないの

    マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論
    tatsunop
    tatsunop 2013/09/17
    「商品としての自分と自分当人を分けて考える」「転機になった仕事は自分で営業活動」「お金にまつわる醜い振舞をしては、ファンを傷つける」 そんな苛烈なプロ意識の人だったのか。
  • マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

    これまでの記事。 80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル 脇道から入りましょう。 資生堂は松田聖子をデビュー以来サポートしてきた企業でしたが、『Rock'n Rouge』の時に聖子はカネボウのCMに出演し、カネボウの業績が大きく伸びるきっかけになっています(『Rocn'n Rouge』の歌詞に唐突に"pure, pure lips"と入っているのは口紅のCMに用いられたからです)。このことについて、当時、資生堂側からは聖子を裏切り者扱いする声もありましたが、聖子をイメージキャラクターとして徹底して囲い込まなかった、資生堂の戦術ミスでしょう。カネボウは一時期、資生堂に追いつき追い越せで急成長するのですが、元々は紡績会社であり、旧部門を整

    マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論
    tatsunop
    tatsunop 2013/09/05
    面白かったしなんとなくは分かるけど、当時も昔も自分ではあんまり意識して注目してなかったようで前の3人ほどの手応えが感じられなかった。
  • 承前 http://anond.hatelabo.jp/20130831065322 小泉のアイドル時代がいつまでなのか、..

    承前 http://anond.hatelabo.jp/20130831065322 小泉のアイドル時代がいつまでなのか、その線引きが難しいのは小泉がずっと売れているからです。 「歌手一年、総理二年の使い捨て」と言いますが、アイドル歌手は普通は一年、保って数年で売れなくなります。百恵、聖子、明菜の3人のトップアイドルが、特に別格の印象が強いのは、売れなくなる前に結婚事件などでキャリアに区切りをつけたからです。セールス的には百恵よりもピンクレディーの方が遥かに「別格」でしたが、ピンクレディーは落ち目になってもだらだらと数年、活動を続けたために敗残の印象も残してしまいました。 アイドルファンではない、普通の人にとっては近藤真彦の「愚か者」以後の曲は知らないでしょうし、田原俊彦は「抱きしめてTONIGHT」で"オシマイ"でしょう。小泉の場合はセールス上の好調が12年以上続いているため、区切りが

    承前 http://anond.hatelabo.jp/20130831065322 小泉のアイドル時代がいつまでなのか、..
    tatsunop
    tatsunop 2013/08/31
    確かに切り替えポイントを作らずにそのまま直通で乗り換えみたいな感じはする。
  • マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

    これまでの記事。 80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 こんにちは。80年代女性アイドル格付のマスダです。 さて、今日は小泉今日子の話です。と言いながらいきなり関係のない話をしますが、松田聖子を聖子、中森明菜を明菜と呼ぶのに何ら抵抗もなく違和感もないのに対し、それと同じニュアンスで小泉今日子を今日子、薬師丸ひろ子をひろ子とは呼べません。私は聖子と明菜は別格だと述べましたが、これもその一例です。聖子と明菜は、略称として聖子、明菜と呼ぶことが定着している、それくらい広範囲にわたって言及されてきたんだということが分かります。 小泉今日子は愛称がキョンキョンで自称がコイズミでした。愛称で呼ぶのも距離が近すぎるので、これ以降のアイドルについては姓で呼びます。 小泉のことを書こうとして数日、多分、私の人生で初めて彼女について深く考

    マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論
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    tatsunop 2013/08/31
    「誰にでも合わせられるということは自分が無いということ」 「主張のあるアイドルとして認識」 言われてみれば納得な、さすがの分析力。/ この増田は少女まんがにも詳しいみたいだけど、こっちも語れるのかな?
  • http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤..

    http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤真彦について考えてみましょう。 近藤真彦は男性芸能人としては、意外かも知れませんがわりあい人格者です。これは彼が早いうちからトップアイドルであったことを踏まえれば意外でもあります。女性アイドルと較べても男性アイドルは「貧困家庭出身」「孤児」「芸能界以外では使い物にならない不良」の割合が当時は大きかったのです。これは男性が一家の大黒柱にならなければならないという当時の当たり前の感覚からすれば、芸能界に関係して、売れればいいものの売れなかったらただの低学歴者になってしまうというプレッシャーがあったので、失うものが無い人でなければ芸能界に進むと誰よりも当人がふんぎりがつかなかったからです。もちろんそのプレッシャーは女性にもありましたが、嫌な言い方かもしれませんが当時的な感覚で

    http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤..
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    tatsunop 2013/08/28
    「商品になると言うことです。でも人間は商品ではないのですから」 グループ売りが増えてるのは、この辺が安定させやすいからってのもあったりするのかも。
  • マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

    80年代女性アイドル格付 http://anond.hatelabo.jp/20130821065806 を書いたマスダです。 今日は中森明菜について。 (追記) こちらを見落とされている方が結構いらっしゃるようなので。 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 http://anond.hatelabo.jp/20130825215309 今回は松田聖子論に続く「第2回目」です。「80年代女性アイドル格付」の順位順に書いています。次回は小泉今日子です。 松田聖子もずいぶん批判されましたが、今になってみれば、いったい何が批判されたのか、よく分からないところがあります。恋多き女性という印象もありますが、婚約・結婚を含めて彼女は4人の男性と法的なパートナー関係を結んだ経験がありますが、いちいち結婚という形をとりたがるのは彼女の価値観の基盤が実は案外保守的だからです。パートナーに対して彼女が求め

    マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論
    tatsunop
    tatsunop 2013/08/28
    相変わらずのクオリティ。最初は業界とはあまり関係ない人かと思ってたけど、ある程度関わってた感じの見識が出てきた。そういう意味では、やっぱり無記名な方が楽なのかなぁ。
  • マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

    80年代女性アイドル格付 http://anond.hatelabo.jp/20130821065806 を書いたマスダです。80年代女性アイドルについて語り倒したくなったので、順繰りにそれぞれの女性アイドルについて話してみたいと思います。 今日は松田聖子について。 松田聖子のデビュー曲は「裸足の季節」、そのB面曲は「RAIMBOW~六月生まれ」と言う楽曲です。 どういう事情でこのB面曲が選ばれたのか、ちょっとした謎ですね。デビューシングルと言えば、売出し中のアイドルにとっては名刺みたいなもんじゃないですか。そのB面曲が「六月生まれ」だったら、普通は、ああ、この子は六月生まれなんだなあって思いますからね。でも実際には聖子は3月10日生まれ、早生まれなんですね。この早生まれ、ということを初期の聖子は最大限に活用しています。 三作目のシングル「風は秋色」はB面曲(扱いは両A面扱いですが)が「E

    マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論
    tatsunop
    tatsunop 2013/08/26
    さすがの説得力。もうサブアカでも作ってダイアリーがブログでやって欲しい。
  • 5大天才漫画家

    五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は? http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html 天才の定義が曖昧だけど、 1.質が高い作品を複数、残している。 2.商業的に成功している。 3.エピゴーネンを多数派生させている。 4.表現技法上の革新を成している。 5.ジャンル・フォーマット上の革新を成している。 を条件とした場合、 手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。 尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。 鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風

    5大天才漫画家
    tatsunop
    tatsunop 2012/10/29
    妥当なだけにネタとしては発展しずらい感じが。/ そういう意味では、アニ軽10のフォーマットはネタ的に優秀だったなぁ。
  • 聖地巡礼:ファーブルの家に行く 中編 - 砂漠のリアルムシキング

    人だったらまずほとんどの人がファーブルのこと知ってるじゃないですか。 ところが、フランスではまず無名なんすよ! 一般の人はまず知らない。 「日で一番有名なフランス人は誰?」ってよく質問されるんだけど、 「ファーブルです」 と答えても誰もファーブルのこと知ってません。 ファーブルは昆虫学者だよーって教えると、 「そんな・・・ 昆虫学者なんかが一番有名なのかよ!」 とフランス人はガッカリしちゃいます。 以上、ファーブルマメ知識でした。 引き続き村です。 交番の壁にもファーブル 村の地図にもファーブル もうファーブル村に改名すればいいのに。 建物 オサレでござる。 村の中心に行ってみると、、、 いたーー!!! ファーブルさまの石像。 りりしいお姿にうっとり。 つか、虫の研究してて石像になるってすごいことっすよね。 メデューサに石にされるよりもすごいと思うよ。 台座について、説明いたしましょ

    聖地巡礼:ファーブルの家に行く 中編 - 砂漠のリアルムシキング
    tatsunop
    tatsunop 2012/10/29
    フランス人だとは認識してなかったなぁ。というか偉人シリーズな人はどこの国かあまり把握してないかも。/ 日本でだけ知名度高いのでも、学者ならなんかそれでいいじゃんという気にはなる。
  • マンガの中の聴覚障害者 ヘレン・ケラー神話

    ヘレン・アダムス・ケラー (1880-1968) Helen Adams Keller アメリカの社会福祉事業家。アメリカ南部のアラバマ州タスカンビアという町の旧家に生まれる。生後十九か月で盲唖となり、アニー・サリバン女史の教育を受ける。身体障害者の福祉事業に尽力、世界各地で講演。日にも数度訪れる。 作品紹介 学習漫画として出ている世界の偉人伝のたぐいがいくつかあるが、ここでは取り上げない事にする。 演劇「奇跡の人」をそのままなぞったマンガが二編、演劇がテーマで「奇跡の人」を演じるというマンガが二編。 「奇跡の人」 水野英子 1965年「りぼん」 カットは永井哲所有の「りぼん」誌から取ったもの。 僕の知る限りでは、これがヘレン・ケラーの伝記を描いた最初のマンガ。この「ウォーワー」と叫ぶシーンがクライマックスとなっている。 あきもと渚 1976年「マーガレット」 同じくヘレン・ケラーの

    tatsunop
    tatsunop 2012/06/20
    ちゃんと読んだことがないからいわゆる「神話」のイメージしかなかった。読んでみようかなぁ。
  • 【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】

    徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも

    【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
    tatsunop
    tatsunop 2012/05/23
    エンジョイし過ぎてたのか、いいエピソードが豊富過ぎる。
  • 自称「現代の坂本竜馬」は単なる厄介者であることが多い - FANTA-G:楽天ブログ

    2012.02.10 自称「現代の坂竜馬」は単なる厄介者であることが多い (2) カテゴリ:カテゴリ未分類 ふと思ったのですが。 他人からそう呼ばれるのであるならともかく、自らを「現代の坂竜馬」と名乗る人間って、単に理解されない事を正当化するための方便である場合の方が多いんじゃないかと。 っていうか「今は理解されなくても後の時代が評価する」って、坂竜馬も別に自分の死後、司馬遼太郎という歴史小説家に取り上げられ、大ベストセラーにならなければ、当に一部の人しか知らない無名の人だった訳だし。 坂竜馬に限らず、自らを歴史の偉人に例える人は、たいがい単なる厄介者であることが多いですね。そもそも偉人は自らを別の偉人に例えないだろうし。 上のようなことを言っている人を見たら「オレがガンダムだ!」ぐらいに聞き流した方がいいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう いいね!0 シェアする

    自称「現代の坂本竜馬」は単なる厄介者であることが多い - FANTA-G:楽天ブログ
    tatsunop
    tatsunop 2012/02/13
    他人がそういう褒め方をするのだって微妙な時が多そうだし、ましてや自称はなぁ。
  • ノートン一世 - アンサイクロペディア

    ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「ノートン一世」の項目を執筆しています。でも、ここに書いてある内容とそんなに違いはありません。 ノートン一世(ジョシュア・ノートン)とはアメリカ合衆国の皇帝である。人類史上最良の皇帝と名高く、1859年から21年間にわたるアメリカ統治はアメリカ最良の時代と現代でも高く評価されている。 正式な称号は「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」である。 ノートン一世の偉業[編集] 暴徒鎮圧[編集] サンフランシスコでは1860年代から70年代にかけて中国系住民に対する白人市民のリンチや暴行が相次いでいた。背景として、当時低賃金で働く中国系住民に仕事を取られる事への不満が市民の中に燻っていたのである。 暴動を起こし中国系住民を虐殺しようとしていた白人たちの間に立った皇帝陛下は頭を垂れ、何度も主の祈りを口ずさんだ、それを聞いた暴徒た

    tatsunop
    tatsunop 2011/04/15
    帝国発行債権の価値の上昇っぷりもすごい。