戦時補償を税金の形で全額没収という余りにも深すぎる闇 NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇~2014年2月8日(土)夜11時、再放送:2014年2月15日(土)午前0時45分(金曜深夜) http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0208.html 続きを読む
ツイッターでつぶやいた「ミリオタでなくても軍事がわかる講座」を書き直しました。ミリオタや研究されている方にはお勧めしません。ごくかい摘んで軍事、特に「戦闘の原則」を紹介しています。 始めに・軍人さんは戦争がイヤ 2012/10/27 23:30 隣は何をする国ぞ 2012/10/28 00:14 ランチェスターさんは偉かった 2012/10/28 12:25(改) 戦闘の原則その一・「目的の原則」って何? 2012/10/29 23:38(改) 戦闘の原則その二・「主動の原則」って何? 2012/10/30 23:17(改) 戦闘の原則その三・「集中の原則」って何? 2012/10/31 23:23(改) 戦闘の原則その四・「戦力節約の原則」って何? 2012/11/01 23:04(改) 戦闘の原則その五・「機動の原則」って何? 2012/11/02 22:50(改) 戦闘の原則その六・
いまどきの中学生なんていくら説明したところで、「ふ~ん?、で?」で終わるのが目に見えてるのに、修学旅行でそれをやることが間違い。 道徳とか(いや、真面目に学校側がやってるか知らないけど)社会の授業の時に小話程度で説明すればいいのに。 「楽しかったねー」をしたい生徒たちに被曝がどうのこうの言ったって、さっさと終わらせろと思われて当たり前。 いかにも、戦争の被害について学ばせてますよアピールをしたかった学校の計算ミスだと思うのだけど。 ついでに言えば、障害を持ってる生徒について理解させようとするのも無駄。 オブラートに包んだ言い方をしてはっきりと説明もしないで差別するなって言ったて「害児」、「ちて」とその生徒が言われるだけ。 知的障害やその他の障害に理解がある生徒なんてほとんどいないのに。 今の時代に良心、常識を持った中学生、高校生がどれだけいるのか、バカッターでよくわかってるはずなのに大人は
ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ 中国 - Y!ニュース http://t.co/vSmqYlmd6v うおおおおおおこの事件ついにここまで来たのか! これは…また…戦時徴用船舶史の、もうひとつの地獄の釜のフタが開くで… 2014-04-20 19:24:18 ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ事件:1936年に当時の大同海運(現在の商船三井)に貨物船を貸し出した中国の船会社があったが、37年の第二次上海事変の勃発に伴い38年に返却されるはずだったその船を大同海運が(軍の指導の下)返却せずそのまま軍の徴用船とされ占有した事件が原因。 2014-04-20 19:35:30 ktgohan @ktgohan …少なくとも中国側はそう解釈している。しかも途中から傭船料も踏み倒したという主張であり(実際その通りなのだろう)、おまけに2隻の貨物船は移転
小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書
津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日本兵小野田寛郎と共同生活をし、その手記「戦った、生きた」を『週刊現代』に連載しました。これは、のちに『わがルパング島の三十年戦争』と改題されて、講談社から出版されました。 しかし、この手記は、真実を歪めて書いたもので、その罪の意識から、津田信は、3年後の1977年6月に、手記代筆の真相を暴露した書下ろしノンフィクション『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』を図書出版社から刊行しました。 *全文公開は、2014年8月いっぱいで停止しました。 *なお、本書は電子書籍化(有料)しましたので、そちらで 読んでいただけるとありがたいです。 小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信 (2014/8/4) - Kindle本
「島民の一部には今も複雑な思いが交錯している」。16日、91歳で死去した元陸軍少尉、小野田寛郎さんが約30年の山中生活に終止符を打ったフィリピン・ルバング島で昨年、当時を知る住民から体験談を聞いたフィリピンの邦字紙マニラ新聞の沢田公伸記者(51)はそう語る。 情報将校を養成する陸軍中野学校出身だった小野田さんは戦後も部下とゲリラ戦を展開。敵地の中に残って情報を送る「残置諜者」の任務をかたくなに守り、フィリピン軍との銃撃を繰り返し、島の軍施設などを監視していた。銃撃戦などで10人以上の死傷者が出たとされる。 地元紙記者は「当時のマルコス大統領が小野田さんを英雄扱いして刑事責任を免責、日本からの援助を引き出す取引材料にした側面もある」と指摘する。 沢田さんによると、住民の中には、旧日本兵の略奪に遭ったり、(銃撃で)家族が亡くなったりしたと訴える声が今も少なからずある。(共同)
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