自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件は、派閥による組織的な裏金づくりが疑われている。「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020年公開)など日本の政治を題材にした作品で知られるドキュメンタリー監督の大島新さん(54)は、「政治とカネ」の問題の背景に、自民党政権を支持し続ける日本人の民意があるとみている。【聞き手・井上知大】
神戸の学生たちとの交流のため訪れた「福島しあわせ運べるように合唱団」の指揮をしながら「しあわせ運べるように」を歌う神戸親和大の臼井真准教授(右)=神戸市北区で2023年12月27日午前11時51分、山本康介撮影 能登半島地震は津波や大規模火災、土砂崩れなどこれまでの巨大地震で見られた被害も複合的に発生し、備えの大切さを改めて浮き彫りにした。その前提となる被災体験は世代を超えて共有されているだろうか。阪神大震災から29年を迎えたのを機に、その可能性と難しさを探りたい。 年の瀬の2023年12月27日、神戸親和大(神戸市)の教室に歌声が響き渡った。福島県二本松市を拠点に活動する「福島しあわせ運べるように合唱団」による合唱だ。1995年1月17日の阪神大震災当時、神戸市立小教諭だった同大准教授の臼井真さん(63)が東日本大震災後、合唱団の活動に共感したのが縁で親交が生まれ、神戸の学生たちとの交流
元NHKアナウンサーの武田真一さん(56)は2011年3月11日、東京・渋谷のスタジオから、海辺の街が津波にのみ込まれていく惨状を中継映像とともに実況し、避難を呼び掛け続けた。それから12年半が過ぎた10月、武田さんはその街で講演会に臨んだ。「これから話すことは、ごく個人的な閖上(ゆりあげ)に対する思いです」。そう前置きして、住民たちに語り始めた。
押し入れから出てきた松下政経塾「入塾のしおり」(左)と、小渕恵三内閣の「21世紀日本の構想」懇談会の報告書=鈴木琢磨撮影 ごそごそ押し入れを片付けていたら、段ボール箱から1冊の古びたパンフレットが出てきた。「松下政経塾 入塾のしおり」。1982年、第3期塾生の募集要項だ。塾長は創設者で経営の神さま、松下幸之助さん。講師は作家の小松左京さん、評論家の山本七平さん、文化人類学者の梅棹忠夫さんらそうそうたる顔ぶれ、しかも研修資金まで出る。こりゃ、ええわ、私は非才を顧みず、応募した。むろん、あえなく1次で落ち、塾長面接もかなわなかった。 そのときの課題論文は「日本の現状と将来を展望し、これは問題だと思うことの解決策を述べよ」。朝鮮半島についての関心、研究がまったく足らない、と書いたように記憶する。このままではいずれゆゆしき事態を招来しかねない、とも。大阪外国語大(現大阪大)で朝鮮語を学んだからだ。
2020年7月、長野県茅野市のクリーンルームで行われたトロンボーンの飛沫を検証する実験=日本クラシック音楽事業協会提供 世界中の人々の生活を一変させた新型コロナウイルスの感染拡大は、クラシック音楽の世界にも大きな影を落とした。行動制限や感染防止策が段階的に緩和されていくのに合わせて、コンサートホールなどでの公演は再開し、客足も戻りつつあるが、その背景には音楽関係者による努力と試行錯誤があった。困難な状況にありながらも、この3年間の歩みの中で生まれた変化は、クラシック音楽界にとって、決して小さくはない成果だったと考えている。 コンサートやオペラの公演は、出演者や聴衆がホールという一つの空間に集まり、同じ時間を共有することで音楽の魅力を分かち合ってきた。だが、新型コロナの感染が広まると、「密」になることが避けられ、ホールに足を運ぶという従来のスタイルを成立させることが困難になった。
近時の憲法審査会は、とりあえず多数の賛成を得られそうな争点に絞った上で、いつ審議を打ち切り多数決による見切り発車に切り替えるか、という「日程の政治」へ移行している気配がある。 憲法改正プロセスにおいて、現状では審査会だけが、唯一「数の力」ではなく「理の政治」に徹し得る合議体だ。そこで担保された「理」が、国民が納得ずくで選択するための前提条件になる。この点が不十分なまま、勢いだけで国民投票に持ち込めば、国民にサイコロを振らせるのも同然となり、仮に改憲が成立しても、国民的基盤を得て定着することは難しい。 世界史上成功した憲法会議は、みな「理の政治」に徹し、意見が割れていなかった。立憲主義は、異質な他者との共存の思想だからである。現行憲法の場合も、1946年の帝国議会で高い水準の議論を経た上で、圧倒的多数により可決された。 ナショナリズムの応援のない憲法 日本は、明治維新以来、新政府の政治組織を
魚の締め方は漁師の経験に頼ることが多いが、山形県水産研究所は鮮度保持に最適な冷却温度などを科学的に分析している=同研究所提供 日本海沿岸では、これまでほとんど取れなかった南方系の魚の豊漁が続いています。地元ではほとんど食べる習慣がありません。漁獲の急増によって、漁法や流通のあり方まで変更を迫られています。第3章は、日本海を北上してきたサカナに注目します。 第3章 北上する魚たち(1) 地域の漁業のかたちを変えてしまうほどの「バブル」は、突然訪れた。 「近ごろ、見たこともない魚が網にかかっているぞ」 山形県鶴岡市の漁師、本間和憲さん(53)は2005年ごろ、先輩の漁師たちからそんな話を聞くようになった。山形県の漁業は、底引き網によるタイやノドグロなどの水揚げが中心だったが、体長が70センチくらいある「サワラ」が網にかかりだしたのだ。食べてみると、脂のうまみが口の中に広がり「こりゃいいわ」と驚
沖縄戦の戦没者遺骨をボランティアで発掘・収集する「ガマフヤー」(沖縄言葉。住民が逃げ込んだガマ=自然洞窟=を掘る人という意味)代表の具志堅隆松さん(69)=那覇市=は、活動を始めて41年間で約400体の遺骨と向き合った。物言わぬ骨の死に至った経緯を解き明かすうち、自らは体験していない沖縄戦を実感できるようになった。遺骨は78年後のいまも、沖縄本島南部を中心に3000体近くが埋もれたままとされる。戦没者の血がしみ込んだ土を、米軍の新基地建設に使う計画が進む。同時並行して、沖縄を最前線とする「台湾有事」への備えも勢いを増す。こうした流れを見据えて警鐘を鳴らす機会が増えた具志堅さんは、戦争で命を断ち切られた人々の「声」と「目」を、時空を超えて背負う。 1月4日、沖縄県糸満市の慰霊塔「魂魄(こんぱく)の塔」の前で「戦没者遺骨の尊厳を守る集会」が開かれた。沖縄戦体験者や遺族、平和ガイドの人たち約15
安倍晋三元首相の銃撃現場付近にできた花壇。慰霊碑などはない=奈良市で2023年3月31日午後0時36分、林みづき撮影 安倍晋三元首相殺害事件の山上徹也被告(42)よりも、自分は「運が良かったに過ぎない」。3月30日、奈良地検が山上被告を追起訴し、一連の捜査は終了した。このタイミングで、山上被告が記したとされるツイート全1364件を分析し、彼の内面に迫った新刊「山上徹也と日本の『失われた30年』」が出た。冒頭のせりふは、共著者の一人、政治学者の五野井郁夫高千穂大教授のもの。山上被告も五野井教授も、「ロスジェネ」だ。 長期不況下の1993~2004年ごろに新卒だった就職氷河期世代は、ロストジェネレーション(失われた世代)、略してロスジェネとも呼ばれる。今も、男性だけで約100万人が非正規雇用労働者などだという。 本書は、ロスジェネとそれ以後の世代が抱える苦難を軸に、山上被告の軌跡を論じた。山上
富士山のふもとは、極限まで冷え込んでいた。大人の信者に交じり、冬の夜道をひたすら歩く。心は悲鳴を上げていた。「帰りたい、帰りたい……」。水ぼうそうを患った体は熱を帯び、足元がふらつく。遠くに見える民家の明かりがうらめしい。「なんで私はこんなことをしているんだろう」。気に留めてくれる人は誰もいなかった。 咲(さき)=仮名、40代=はオウム真理教の元2世信者だ。小学生の頃、母に連れられて関東の道場に通った。「ほら、私もできるよ」。ヨガをほめてもらうのがうれしかった。習い事感覚で始めたが、その先に悲劇が待ち受けているとは思いもしなかった。
アフガニスタンのイスラム主義組織タリバン暫定政権の強硬派、シラジュディン・ハッカーニ内相が最高指導者アクンザダ師を暗に批判した演説が波紋を呼んでいる。タリバンの閣僚が公の場で身内に苦言を呈するのは異例で、アクンザダ師の独断的な姿勢に不満を抱いているとみられている。タリバン内で同調する声もあり、政治情勢の不安定化が懸念されている。 「権力を独占し、体制の評判を傷つけることが常態化している」。支持者がツイッターに投稿した動画によると、ハッカーニ氏は2月中旬に南東部ホースト州のイスラム教宗教学校の卒業式に登壇してそう訴えた。アクンザダ師を名指しすることはなかったが、「こうした状況は容認できない」と続けた。さらに「人々の権利が奪われてはならない」と述べ、タリバン側が市民に歩み寄る必要性を訴えた。
関連死を含めた死者・行方不明者が2万2212人と戦後最悪の自然災害となった東日本大震災から11日で12年となる。東京電力福島第1原発事故による福島県の帰還困難区域は、一部で避難指示が解除されたものの、東京23区の半分ほどの面積に相当する322平方キロに上る。避難者は全国47都道府県に3万884人いる。 警察庁のまとめによると、死者が1万5900人、行方不明者は2523人。死者のうち53人は遺体が見つかっているが身元は分からない。2021年11月以来、新たに身元が判明した死者はいない。復興庁によると、震災や原発事故に伴う避難で体調を崩すなどして亡くなった関連死は3789人。厚生労働省の集計では震災に関連した自殺者は248人に上る。
新型コロナウイルス感染防止のため二月堂の戸が閉められていても、お堂の外で練行衆の祈りの声に耳を傾け手を合わせる人たちは絶えない=奈良市で2023年3月3日午後10時8分、花澤茂人撮影 あれから12年が過ぎようとしている。2011年3月11日、私にとって東日本大震災の記憶は、前回のコラムでも紹介した奈良・東大寺の伝統の法会「二月堂修二会(しゅにえ)」と強く結びついている。 「お水取り」の名で知られる二月堂修二会は、毎年3月1日から15日未明まで、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11人の僧侶が天下安穏や五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法会。私はその年、奈良支局の寺社文化財の担当記者として、取材のために連日連夜、二月堂を訪れていた。地震発生当夜、甚大な被害が次々と報じられる中、二月堂ではいつも通りの静かな時間が流れているのが不思議だった。 人々の幸せが祈られているまさにその最中に、正反
アフガニスタンのイスラム主義組織タリバン暫定政権が昨年12月、全国の大学に女性への教育を停止するよう命じた。既に中等教育も停止され、このままでは女性は小学校までしか学校教育を受けられなくなる。前回のタリバン政権時代(1996~2001年)でも女性への教育は制限されたが、その後の約20年間にわたり国際的な支援を受け、タリバン側も女性が教育を受ける必要性を真っ向からは否定できないほどに理解が広がった。現地を取材し、市民意識の変化を実感した。 私はニューデリーを拠点にアフガンを担当し、22年7、8月と11月に現地を訪ねた。タリバンが女性記者の取材に応じるのか不安だったが、女性を理由に取材を断られたことはなかった。ただ、幹部の表向きの言動と実際の政策はあまりにかけ離れていた。
皇居そばの竹橋をバリケードで塞ぐ2・26事件の反乱軍兵士。今は、この写真の撮影位置の背後に毎日新聞東京本社がある=1936年2月撮影 戦前のクーデター、2・26事件から今月で87年がたちます。事件は、私の初任地、青森県とも浅からぬ縁がありました。関係した地方紙記者らとその戦後、現在の同県にある核燃料サイクル施設までの流れを素描します。【オピニオングループ・鈴木英生】 1936年2月26日朝、雪深い青森市の陸軍第8師団歩兵第5連隊本部。スキーを履いて出勤した末松太平大尉が、電話でこう問われた。「野中四郎大尉を知っていますか」。野中は2・26事件の首謀者の一人だ。興奮気味の声の主は、地元紙「東奥日報」記者の竹内俊吉。末松は、以前から親しかった竹内によって同志の決起を知った。 事件は、農村の疲弊や政治の腐敗に憤る青年将校たちが起こした。部下約1400人を引き連れて要人を殺害し、首都中枢を占拠する
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く