「反原発派」「原発派」に分かれて険しい対立構造が出来上がっている。 けど、その枠組みを用いては議論はサッパリ進まない。 たまに、「消極的原発廃止派」とかもいたりするけど、「その表明が議論の役に立つことはない」よ。 民主主義の中での必要悪として存在し、民主主義の中での許された「擬似戦争行為」、まあそれを政治と呼ぶ人も多いけど、それには役に立つかも知れない。まあ、「どっちか」だと議論する余地はないんだよね。「反原発の為に」「原発の為に」集められた情報はバイアス掛かるし、さらにはデマも含む。そんな立場にある時点で「問題点解決策のでっち上げ」が始まるんだ。当たり前だよね。「問題」見ずに自分の立場に固執する人は、薄っぺらくても「策があることに満足して」、「策を深める話はしない」。 「反原発」も「原発」も互いに互いを「批判」だと考えていない。「分かり易く相手側のダメな話を持ってきて叩く」だけ。正直、「