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ブックマーク / tukinoha.hatenablog.com (2)

  • 『最果てのイマ』論(1)―ためらいながら、他者を語る - tukinoha’s blog

    最果てのイマ 出版社/メーカー: ザウス【純米】メディア: CD-ROM購入: 4人 クリック: 172回この商品を含むブログ (42件) を見るブログの編集画面を開きながら、さて『最果てのイマ』について何を書こうかと考えている自分が酷く滑稽に思える。この作品を読まれた方ならわかるだろうが、ハイパーリンクが大量に埋め込まれた「はてなダイアリー」で『イマ』について書くというのは、それ自体がパロディのようなものである。私は批評をやりたいと思うが、それによって作品のオリジナルの意味に到達することは決してできない。どれだけ作品の意味を正確に捉えようと思っても、どこかにズレを抱えてしまう。これから書くことはあくまでもパロディなのだ。 しかし、それはテクストが多義的だからではない。例えばジャック・デリダの脱構築は、テクストの決定不能性を定式化したものと考えられがちであるが、デリダ自身が強調しているよう

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  • 『空の境界 第五章』に関する雑感 - tukinoha’s blog

    1週間ほど前にテアトル梅田まで見に行ってきました。第1章を見に行ったときは東京まで行かなくちゃでしたので、今回は近場で済んでラッキーでした。 印象としては、とにかくわかりづらい!毒にも薬にもならない駄菓子みたいな台詞が多いというだけでなく、時系列が複雑に入り組んでいて、頭の中で再構成するのが結構大変。その手助けとして同じ構図、同じ台詞の場面が何度も何度も出てくるわけですが、それが同時にコルネリウス・アルバと蒼崎橙子の戦いその2の冒頭で観客を「えっ」と思わせるための伏線としても機能している、という点は上手いなぁと思いました。つまり、時間の入れ替えに観客を慣らしておくことで、再びアルバの前に現れた燈子が「過去の橙子」なのか「復活した橙子」なのか判断できなくなる、ということ。そこで別の場面に飛ぶ辺りがいやらしいですよね。 ただ、このわかりづらさの原因はストーリィ上の必要性によるものだけであるとは

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