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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (2)

  • 物語にできること - 空中キャンプ

    こうして大きな災害や社会的事件が起こるたびに、わたしは、物語の役割はなにかということについて考える。小説映画はこのようなときになにができるのだろうか? わたしは小説映画を──つまりはストーリーを語るという行為を──なによりも支持する者ですが、いま「物語」はなにかのんきな娯楽であるようにも見えてしまう。行方のわからない人びとが数多くいるとき、傷ついた人びとがどこかで助けを待っているとき、まずなにより必要とされるのは彼らを救助することであり、からだを休める場所とべものを提供し、さらなる被害をい止めることであるためだ。 地震の翌日、料品の買い出しのために下北沢の街を歩きながら、わたしはふと「大きな問題に直面したとき、物語は無力なのではないか」との疑念を持たずにはいられなかった。ふだんであれば週末に封切られた映画をたのしそうに追いかけまわしているわたしの友人たちも、昨日は映画館に出向くこ

    物語にできること - 空中キャンプ
  • 2009-10-12 - 空中キャンプ

    前作『のはなし』から二年、伊集院光の新刊エッセイ。伊集院がエッセイの名手であることは、『のはなし』でじゅうぶん理解していたが、二冊目であるこのもやっぱりおもしろすぎて、何度も笑いながら読みすすめ、「あー、このを読んだ人と飲みにいきたい、そして、『おばあちゃんがくれるお菓子はなぜかブルボン系』な理由について語りたい」とおもうのだった。 小学校の音楽の時間に縦笛の中に鉛筆を入れて強く吹いたら、吹き矢みたいに飛び出して前の席の島田君の後頭部に刺さったこと、その時吹いていた楽曲が『茶色の小瓶』だったこと われわれが記憶しているのは、意外にどうでもいいことばかりで、とても重要な記憶が抜け落ちている一方で、あってもなくてもいいような記憶がやけに鮮明だったりする。なんでだろうね、これ。わたしも、高校時代のことをおもいだそうとすると、入学式から三日後に、新品の通学かばんの取っ手が壊れて、それから卒業ま

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