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2019年8月6日のブックマーク (15件)

  • 「反知性主義」の風潮を憂う~慰安婦問題・南京事件めぐって

    tenchikometen
    tenchikometen 2019/08/06
    慰安婦
  • おしえて!ゲンさん!〜分かると楽しい、分かると恐い〜

    慰安婦と言われた女性たちはどの様にして 集められたのでしょうか? この件は議論が分かれるところです。 色々なケースがありますが、私なりに整理してみます。 「集めた場所」 1. 日・朝鮮・台湾から集めた方法 現地軍が業者を指定して集めさせました。 その業務の統制は方面軍、 師団、旅団などの司令部が行いました。 また、派遣軍からの依頼を受けて、 日、朝鮮、台湾の部隊が業者を選定して 集めさせる事も行われました。 2. アジア各地に派遣された日軍が 占領地で慰安婦を集めた方法 現地軍直接、現地に出向いていた 日の業者、現地人の組織や行政などの 場合もあります。 ◎「憲兵下士官」 鈴木卓四郎著 から 1941年4月21日、台湾第48師団は 福州を占領したが、 師団専属の慰安婦がついてこなかったので、 師団参謀部は兵站部に 軍慰安所の設置を指示した。 そこで、兵站部は福州憲兵隊の兵長に 協力

    tenchikometen
    tenchikometen 2019/08/06
    慰安婦
  • 93歳旧陸軍歩兵中隊上等兵 戦時中の慰安婦達の実態を語る

    太平洋戦争の終戦から68年。戦争を直接知る者は年々減り、当時の実態を証言できる者は限られてきた。元日軍兵士たちの肉声は貴重な証言だ。その一人、和田明氏(仮名)は93歳。旧陸軍歩兵中隊の上等兵として昭和16~18年、中国戦線に参加し、その後は南洋の守備に当たって南大東島で終戦を迎えた。同部隊は南京占領作戦にも参加した。 以下のインタビューは2007年にSAPIO誌で行なったものである。現在、和田氏は健在であるものの体調が優れず、今回は当時のインタビューのなかから、現代に生きる日人が知っておくべき「慰安婦」に関する証言を再構成して掲載する。 * * * 慰安婦というのは、どこの国の軍隊にもあったもので、日軍でも軍と慰安所は表裏一体でした。ですが、今、批判を受けているような、無理やり女性たちを連れて来て奴隷のように扱ったということは全くありません。 慰安婦たちは、私が知る限りでは朝鮮の人が

    93歳旧陸軍歩兵中隊上等兵 戦時中の慰安婦達の実態を語る
  • ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪

    ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪 戦後のソ連の日人虐殺を強く非難する 2012年3月 Minade Mamoru Nowar 関連サイト:満州開拓団の悲惨な結末 1.凄まじかった 鬼畜・ソ連軍兵士の強姦・残虐行為 ウィリアム・ニンモ氏の著書 『検証・シベリア抑留』 加藤隆訳 (時事通信社 1991年3月発行) 第47頁は 「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日人虐待は、 口ではいい表せないほどひどいものだった。 暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。 ・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、 抵抗するものは片っぱしから殺した。 ソ連軍の兵士たちが日の女にしたことは、 いまでもぞっとするほど残虐なものだった」    と述べている。 強姦された日人女性のほとんど総ては、 その後、自殺、絶望死、病死、衰弱死した。 凄まじかったソ連軍兵士の日婦人強姦 筑紫野市

  • 常軌を逸した戦場、中国での略奪…元兵士は伝え続ける:朝日新聞デジタル

  • 元満州開拓団員の証言(菅原幸助さん) :: testimony of grandfather

    菅原幸助「初年兵と従軍慰安婦」(1997年、三一書房)より ※菅原幸助さんは1925年山形県鶴岡市生まれ。1939年、満州開拓青少年義勇隊員として旧満州に渡り、新京(長春)で終戦を迎える。1953年に朝日新聞記者となり、様々な部署を歴任した後87年に退職。その後ノンフィクション作家として活躍。主な著書に「現代のアイヌ」「二重遭難・谷川岳の記録」「旧満州幻の国の子どもたち」「日の華僑」ほか。中国残留孤児支援家であり(社)神奈川中国帰国者福祉援護協会理事長でもあった。 「初年兵と従軍慰安婦」は、数人の日人少年が旧満州で従軍慰安婦を体験する経緯を紹介した、ノンフィクション小説である。 ●はじめに 旧満州国(中国東北地方)で生活をしたことのある男子なら、「ピー屋」(慰安婦宿)という言葉を知らない人は少ないはずである。「ピー屋」の語源ははっきりしない。主に日軍の兵隊さんや、これに属する関係企業

  • 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History

    慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃 出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日機関紙出版センター,1987年)新版:2005年 慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。 それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。 以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。 最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。

    日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History
  • 【戦争を考える】日本兵による日本兵の殺害を証言した98歳「やり残したことがある」 - ライブドアニュース

    2017年8月10日 20時0分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 沖縄戦経験者の98歳の元日兵が海軍の軍曹を殺害したことを証言した 軍曹は住民を殺害したり、女性を強姦したり、料を強奪していたという 「いい思い出は何もないよ。戦争は勝っても負けてもよくない」と話した 沖縄戦経験者の元日兵、飯田直次郎さん(98)は、昨年ごろから、住民に対し悪行を働いた海軍の軍曹を殺害したことを証言し始めた。日兵による日兵の殺害に関する証言は極めて珍しい。 飯田さんは1944年、東部第六二師団下田部隊に入隊し、沖縄へ向かった。 それまでは教育部隊に所属、中国戦線に6年半、派兵された。いったん土へ戻ったときに結婚。半年後に再び派遣されるが、このとき、は身ごもっていた。 「いつ召集がくるかわからないから、も覚悟のうえだったはず。それが当たり前でした」 沖縄戦は、ア

    【戦争を考える】日本兵による日本兵の殺害を証言した98歳「やり残したことがある」 - ライブドアニュース
  • 日韓の和解を妨げる両国のナショナリストたちに反対する - HKennedyの見た世界

    世界の悲劇と言われている過去の出来事の、その壮絶さを図る測りに、被害者の数の大きさが取り沙汰される。一概に『虐殺』と言われても、被害者の数は複数(最小は二人)から何百万人にまで登り、その悲劇がやはり数の多さで測られるのも、ある意味当然だろう。 悲劇に対する世界の関心や、その反省、防止、汲み取る教訓などの度合いや重要性が、ある程度被害者の数で測られるとすれば、被害者の数の算出は、政治目的や主観的な感情、動機に動かされたり、名誉や誇りの為に過小評価、或いは過大評価されてはならない。数の算出は、あくまでも客観的な調査を基に為されるべきで、やはり、どんなに被害者の気持ちに沿ったものであったとしても、政治動機で活動する運動家よりも、歴史家の専門とされるところだろう。 日韓国の間に横たわる『慰安婦問題』は、2015年の両国間の合意に於いて公的には解決がついたと欧米では報道されていた。勿論、海外の報

    日韓の和解を妨げる両国のナショナリストたちに反対する - HKennedyの見た世界
  • 旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を--人民網日本語版--人民日報

    韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日兵が23日、日軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。 91歳の旧日兵、松正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松さんは1944年初めから1946年3月まで日軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。 松さんによると、大隊部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。 また、当時日軍は中国の庶民

  • 元日本兵の証言(松本正嘉さん) :: testimony of grandfather

    正嘉「わが太平洋戦記」(2001年、私家版)より ※松正嘉さんは1920年東京・巣鴨生まれ。祖父と同じく宇都宮歩兵第59連隊所属。チチハル~パラオと転戦する。「わが太平洋戦記」は彼自らの戦争体験を書き綴ったもの。慰安婦・慰安所に関する部分、その他いくつかの部分を引用してみました。 (※ページ画像はこちらに。) はじめに 松は神様だと言う人が宇都宮を中心に栃木県内に数人居たが、次々に死亡して数名になった。何故神様なのか。 私は軍隊で幾度か死に直面したが、幸運と自己の努力で今日迄生き延びた。 しかし、宇都宮の松原氏や蓮田氏などは全く違う理由で神様にしたのだ。南方パラオ島の最終戦で戦闘は無視して、夫々が生きるために自己の料を得る努力をしたが、不運にも餓死者が続出した。その中で私は斬込(畑荒し)で多量のサツマイモなどを盗んだ。もち論見つかれば銃殺は覚悟の上で、そのイモを戦友達に配給した

  • 旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を_中国網_日本語

    韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日兵が23日、日軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。 91歳の旧日兵、松正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松さんは1944年初めから1946年3月まで日軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。 松さんによると、大隊部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。 また、当時日軍は中国の庶民

  • 【「慰安婦」裏話】安倍晋三氏とケネディ氏に送られた「慰安婦問題のデタラメ」を糾弾する手紙とは? 「朝鮮の真実」知る日韓古老が送る(1/5ページ)

    2年前、日韓の間で最終的かつ不可逆的に解決したはずの慰安婦問題が再び、蒸し返されようとしている。新たに就任した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は日韓合意の見直しをほのめかし、アメリカでは、韓国中国系住民の運動によって慰安婦像の設置の動きが止まらない…。こうなることを見越したように「慰安婦問題の虚構性」を糾弾する手紙を日米の政治家宛に書いた2人の日韓の古老がいた。いずれも日統治下の朝鮮にいて「真実」を知る生き証人である。 慰安婦問題をめぐる「事実ではないこと」を見逃せない 在米の韓国系米国人古老は、日統治時代の朝鮮で生まれ、そこで教育を受けた。年齢は90歳に近い。戦後、韓国の名門大へ進み、朝鮮戦争に従軍。その後、渡米して帰化し、在米の大手企業に勤めた。残念ながら彼の個人情報はこれ以上明かせない。家族や親類にまで累が及ぶ懸念もあるからだ。 2年前、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使

    【「慰安婦」裏話】安倍晋三氏とケネディ氏に送られた「慰安婦問題のデタラメ」を糾弾する手紙とは? 「朝鮮の真実」知る日韓古老が送る(1/5ページ)
  • 『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談? (2015年7月25日) - エキサイトニュース

    「第二設営班資料」のコピー/右・第二設営班矢部部隊の「編成」(抜粋)/左・「5 設営後の状況」(抜粋)/リテラ編集部注:右資料はプライバシー保護のため、一部、氏名に画像処理を施した。 画像(1枚) サイトは、朝日新聞が慰安婦問題でバッシングにさらされていた最中の昨年7月にこの問題を記事にしていた。中曽根元首相は海軍時代の回想録で自ら「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書きながら、外国人特派員協会で追及されると、一転して否定。 しかし、サイトは防衛省のシンクタンク・防衛研究所で中曽根が当時、主計長として統括していた「海軍航空基地第2設営班」の資料を入手。そこに中曽根主計長の取り計らいで、「土人女を集め慰安所を開設」という記載があることをスクープしたのだ。 慰安婦への軍の関与と強制徴用を証明する明らかな客観的証拠だったが、当時はどの新聞、テレビも一切無視。

    『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談? (2015年7月25日) - エキサイトニュース
  • 『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談? (2015年7月25日) - エキサイトニュース

    「第二設営班資料」のコピー/右・第二設営班矢部部隊の「編成」(抜粋)/左・「5 設営後の状況」(抜粋)/リテラ編集部注:右資料はプライバシー保護のため、一部、氏名に画像処理を施した。 画像(1枚) サイトは、朝日新聞が慰安婦問題でバッシングにさらされていた最中の昨年7月にこの問題を記事にしていた。中曽根元首相は海軍時代の回想録で自ら「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書きながら、外国人特派員協会で追及されると、一転して否定。 しかし、サイトは防衛省のシンクタンク・防衛研究所で中曽根が当時、主計長として統括していた「海軍航空基地第2設営班」の資料を入手。そこに中曽根主計長の取り計らいで、「土人女を集め慰安所を開設」という記載があることをスクープしたのだ。 慰安婦への軍の関与と強制徴用を証明する明らかな客観的証拠だったが、当時はどの新聞、テレビも一切無視。

    『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談? (2015年7月25日) - エキサイトニュース