日本統治時代に台湾では「人力車」がたくさん走っていました。 引っ張るのはすべて台湾人です。 日本人はこの職業に就くことを禁止されていたとか。 少年時代に内地に帰って、人力車を日本人が引いているのを奇異に感じました。 これに慣れるまで、乗るときは「すみません」と心の中でつぶやきました。 差別感覚でしょうね。 いまの台湾人と日本人の親密さをみると、ふと日本時代の台湾人と日本人の 関係に思いがいたります。 いまの台湾人は、日本時代の台湾人とは別の民族のようにみえます。 いまさらこのころのことをを蒸し返しても意味がないのかな、とも思います。 数年前、日本時代の台湾人の情況を、保私の経験を元に具体例をあげて 詳細にまとめたことがあります。 在台の日本人研究者(夫は台湾人)の依頼で作成したものですが、好意を もって受け入れられませんでした。 この私のレポートについて、彼女は
20数年前に新卒で入社したわたしを育ててくれたのは配属先の上司であり、社内エンジニアリングコミュニティだ。 最初のプロジェクトは日本語COBOLのプリプロセッサを作るというものだった。大学でソフトウェアを学んだが、職業としてプログラムを組むという経験はなかった。プログラムを作ることのいろはをその会社で学んだ。 新卒の初心者プログラマの日常はこんな感じだ。 よ「プログラム書きました〜」、先輩「あれ〜、どこにファイル置いたの?チェックインした?」、よ「まだでした」、ぱたぱたぱた、よ「チェックインしました〜」、先輩「あれー、ビルドできないなあ、コンパイルエラーが出るよ」、よ「コンパイルしていませんでした〜。今直します〜」、あれやこれや、よ「出来ました。ばっちりビルドも出来ます〜」、先輩「あれー、テストが通らないなあ、ちゃんとテストしたの?」、よ「テストはしていません(きっぱり)」、先輩「おいおい
HTTP の持続的接続の功罪について はじめに、HTTP の持続的接続 (keep-alive) のメリットについて。持続的接続を使うメリットは、以下の2点。 TCP 接続の確立にかかる時間の節約*1 TCP の接続と切断に必要な資源 (CPUとネットワーク) の節約 ウェブブラウザ〜データセンタ間の通信で、持続的接続を使う理由は、このうちの前者。特に太平洋を超えるようなケースだと、TCP 接続に0.2秒とかかかるので、メリットが大きい。 一方、持続的接続のデメリットは、 接続が切断されるまでの間、その接続を維持するためにコストがかかる (主としてメモリが無駄になる) という点になる。特に、1プロセス1コネクションを前提とするアーキテクチャ (例: mod_perl) だと、メモリの無駄使いが、とてもひどいことになる。 そこで、ブラウザからの接続を受ける HTTP サーバとアプリケーション
Lispはなんとなくすごそうというイメージがあるけど、実際にはそれほどでもないwhere programming language matters @ val it: α → α = funIsland Life - 言語にこだわる場面 このへんの話。ぼくはヘッポコプログラマなので、上記の方々とは事情が違うが、いちヘッポコからすれば「プログラミング言語にこだわるべきか」という観点をどう感じるかというと: どちらかというと、ぼくは向井さんの考えに共感する。言語よりも「なにを作るかが大事」という考えかた。howではなくwhat重視ね。むかし高林哲さんがC#かなにかでプログラムを組まれていることがあって、「すごいですね。いろんな言語でものづくりをされていて」と言ったことがあった。そのときも高林さんは「howではなくwhatじゃない?」とさらっと答えられていて感心した。なるほどこれも高林プロダクト
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