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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (13)

  • 『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』

    最初に結論、セイゴオ師の勝ち。 物量は立花隆が圧倒的だが、質量は松岡正剛に軍配が上がる。書棚の写真を並べると、に対する扱いが如実に現れており、とても興味深い。 『立花隆の書棚』にあるは、「資料」だ。ビルを丸ごと書庫にした通称ネコビルは有名だが、百聞一見、噂に聞くのと写真を見るのとまるで違う。地下二階から地上三階までビッシリと占める棚の光景は圧巻なり。さらに、屋上、階段、床上、三丁目書庫、立教大学研究室までを入れると、20万冊になるという。 だが、それぞれの棚に詰め込まれた書物は、雑然としている。ストーリーも驚きもないし、整理すらされていない。その分野に絡むは、ミソもクソも選り好みせずガツンと大人買いしてきましたといった感じ。これらはではなく、資料なのだ。 「書棚は、持ち主の知的歴史の断片なのだ」と言い切る力強さは頼もしいが、同じ口から、「書棚は常にめちゃくちゃになる、そうならざる

    『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』
  • 「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』

    「できない」を納得してもらうのは難しい。 なぜなら、あらゆる解決策を吟味して潰していかねばならないから。いっぽう「できる」ことを証明するのは簡単だ、解法を一つだけ示せばいいのだから。 たとえば、上司に「できません」と伝えると「できない理由を言え(俺が論破してやる)」と返される。無茶でも「できます」と言うほうが楽である(ただし、納期・コスト・品質そして健康が犠牲になる)。最近では小ずるく言い方を変え、「現実的ではありません」と理由を説明するようになった(これで説明責任が相手に移動する)。ビジネス上のたいていの問題は、カネか時間かで解決するが、常識的な時間内に解決するのは難しい。 ところが、世の中に、いくらカネと時間を注ぎ込んでも解決できない問題がある。荒唐無稽なファンタジーという意味で「できない」というのではなく、数学的な帰結として「できなさ」が証明されている問題である。『不可能、不確定、不

    「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』
  • 『2666』はスゴ本

    すごい経験をした、「面白い」を突き抜けている。 一番大切なものは、隠されている。それが何か、読めばわかるのだが、読み終わっても消えてくれない。「余韻が残る」といった可愛らしいものではなく、ずっと頭から離れないのだ、呪いのように。 モチーフを描いて、背景ともに詳細を語る。その後、モチーフだけ消し去ってしまう。なくなった空間に、視線と伏線がなだれ込む。モチーフのあった場所は消失点となり、その周囲には注釈や言伝が散りばめられる。ボルヘスの『伝奇集』のイントロを思い出す。 長大な作品を物するのは、数分間で語り尽くせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差し出すことだ。 ボルヘスは提案する、代わりに架空の書物への注釈を付けろと。だが、ロベルト・ボラーニョは、そうしない。八百ページ超、二段

    『2666』はスゴ本
  • 俺の嫁が美人なわけ。『ファスト&スロー』はスゴ本

    わたしの嫁さんは、美人である。 いわゆるカワイイ系ではなく、美人。レトロなフランス人形のような整った顔立ちをしている。一目惚れから十数年、結婚してよかったなーと思う。 だが、男女が一緒に暮らすのだから、順風満帆というわけにゆかぬ。カッとなって激しくやりあった夜や、冷たい応酬の日々が続いたときは、後悔することもある。 さらに、メタ視点から、「この結婚」に対する認知の歪みも自覚している。結婚に費やした時間、コスト、感情、労力が莫大かつ取り戻せないため、「この結婚はいいものだ」という認識に反する事柄を、予め排除しようとする。この結婚を否定することは、そこに費やしたわたしを否定することになる。あまりに犠牲が大きいため、結婚を疑うことに一種の恐怖を感じる。 そしてこれを、「サンクコストの誤謬」と呼ぶことも知っている。莫大な投資をした事業から撤退しようにも、取り戻せない費用を、サンクコスト(埋没費用)

    俺の嫁が美人なわけ。『ファスト&スロー』はスゴ本
  • 「悪意の情報」を見破る方法

    ニセ科学、デタラメ統計に振り回されないための入門書。 「嘘は三種類ある。嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ」という冗句があるが、これをもじったタイトルが秀逸だ"Lies, Damned Lies, and Science"。これは、嘘つきサイエンスの告発でもある。 科学や技術について考えるのに役立つ視点を提供するとともに、問題の質をはっきり鮮明にとらえることを目的としている。「書は世界を見るための新しいレンズなのだ」と勇ましく言い切る。たしかに同意するが、ネットに出回るデマ学説や詭弁に慣れ親しんだ人には喰い足りないかも。 「マイナスイオン」や「コラーゲン」の胡散臭さを、そのメカニズムから説明し、遺伝子組換品を「フランケンフード」と呼ぶ底意地を指摘する。「地球温暖化」や「ダイオキシン」といった、評価が『多様化』した事例を解説する姿勢が良い。単純に白黒つけられないものには、「ここまでは分かっ

    「悪意の情報」を見破る方法
  • 安くて強くて猥雑で「東京右半分」

    写真の質は「覗き」だ(と思うぞ)。 きれいなお姉さんをナマで見つめることはできないし、立入禁止の場所を見ることは許されないが、写真なら可能だ。写真は、こうした見る欲望を満足させてくれる。書では、普段見れない・知らない・許されない東京を、思う存分「覗く」ことができる。 しかも、東京の右半分に限定だ。渋谷ではなく浅草、銀座じゃなく赤羽、麻布よりも錦糸町だそうな。なぜ? それは、書き手/撮り手である都築響一が喝破する。 古き良き下町情緒なんかに興味はない。 老舗の居酒屋も、鉢植えの並ぶ路地も、どうでもいい。 気になるのは50年前じゃなく、いま生まれつつあるものだ。 都心に隣接しながら、東京の右半分は家賃も物価も、 ひと昔前の野暮ったいイメージのまま、 左半分に比べて、ずいぶん安く抑えられている。 現在進行形の東京は、 六木ヒルズにも表参道にも銀座にもありはしない。 この都市のクリエイティブ

    安くて強くて猥雑で「東京右半分」
  • 「女と男」のスゴい本

    質量旨さ、料理も凄マジいい夜だった。 好きなを持ち寄って、まったり熱く語り合うスゴオフ。始めて2年になるのだが、回を追うごとにパワーアップしている。出てきた料理も洒落にならんほど多量多様・ハイレベル・ユニークで、このエントリでは書ききれない。雰囲気ぐらいは伝わるので、これ見たら飛び込んどいで。 今回のテーマは「女と男」、つまり男性の参加者は「女が書いた/女をテーマにした」だし、女性なら「男が書いた/男をテーマにした」になる。男の身勝手さ(純粋さ?)と、女の率直さ(素直さ?)が、選書にもプレゼンの端々にも見いだされ、男と女の巨大な深淵と壮大な誤解をかいま見る。わかり合えないからこそ、やってこれたのかもしれないね、人類の男と女は。 何をどうオススメするかによって、その人となりが如実に出る。深く濃くやわらかい趣味全開のトークもあれば、紹介するがそのまま自分の半生にからめた物語り

    「女と男」のスゴい本
  • シンプルな人類史「スプーンと元素周期表」

    面白いの探し方を教えよう。 図書館限定だが、的中率は100パーセントだ(ソース俺)。面白いかそうでないかは、もちろん好みによる。読書経験やそのときの興味、コンディションによっても左右される。だが、誰かを夢中にさせたなら、あなたを虜にするかもしれない。手に取る価値は充分にある。 では、「誰かを夢中にさせた」をどうやって見つけるか?書店の新刊と違って、図書館なら、ちゃんとその跡が残っている。 それは、の「背」。のてっぺん(天)から背を眺めてみよう。少し斜めになっているはずだ。を開くと、表紙に近いページが引っ張られ、背がひしゃげる。を閉じると、引っ張られたページが戻ろうとする。つまり、一気に読まれたの背は、ひしゃげたまま戻らなくなる。途中で放り出されたり、中断をくり返したなら、新刊のように真っ直ぐなまま。 試みに、ちょい昔のベストセラーを見るといい。気の毒なくらいひしゃげている

    シンプルな人類史「スプーンと元素周期表」
  • だれかに、なにかを、魅力的に伝える「はじめての編集」

    わたしは「編集者」だということに気づかされた一冊。 そして、より良い「編集者」を目指すことは、わたしの人生をより良い作品にしていくことなんだというメッセージが届いた「あなたの人生があなたの最高の編集物なのです」。職業としての編集者(エディター、デザイナー、プランナー)に限らず、「人生を編集したい」、そんな方にオススメ。 著者は菅付雅信、第一線で活躍する編集者だ。出版からウェブ、広告、展覧会までを手がけ、「編集」というより「企画」「デザイン」「コンサルティング」に近いクロスオーバーな役割をこなす(その仕事っぷり)。 そんな一流人が、編集の原則/質を惜しみなく開陳する。ブログを書いて、ときどきイベントを企画するわたしにとって、ありがたいエッセンスで満ち溢れている。書く対象やプランを検証する優れた手助けとなった。 たとえば、「編集とは、『だれかに、なにかを、魅力的に伝える』という目的を持った行

    だれかに、なにかを、魅力的に伝える「はじめての編集」
  • 「逆光」はスゴ本

    辞書並みの上下巻1600頁余から浮上してきたときの、正直な気分。読了までちょうど1ヶ月かかったけれど、この小説世界でずっと暮らしていきたい。死ぬべき人は死んでゆくが、残った人も収束しない。エピソードもガジェットも伏線もドンデンも散らかり放題のび放題(でも!)いくらでもどこまででも転がってゆく広がってゆく破天荒さよ。 ストーリーラインをなぞる無茶はしない。舞台は1900年前後の全世界(北極と南極と地中を含む)。探検と鉄道と搾取と西部と重力と弾圧と復讐と労働組合と無政府主義と飛行船と光学兵器とテロリズムとエロとラヴとラヴクラフトばりの恐怖とエーテルとテスラとシャンバラとデ・ニーロがぴったりの悪党と砂の中のノーチラス号と明日に向かって撃てとブレードランナーと未来世紀ブラジルとデューン・砂の惑星とiPhoneみたいな最終兵器とリーマン予想とどうみてもストライクウィッチーズな少女たち(でもありえない

    「逆光」はスゴ本
  • 「短篇コレクションI」はスゴ本

    ぜんぶ当たり、ハイスペック短篇集。 選者には申し訳ないが、わたしにとって、池澤夏樹という作家は、小説家というよりも、一流の読み手となっている。思想や歴史臭が鼻につくようになってからこのかた、彼の小説は手をださなくなってしまった。代わりにエッセイを、特に書評を高く買っている。すぐれた作品を掘り出しては、いかにも読欲を刺激するように紹介する。作品の根幹を短いフレーズでずばりと言い当てる技は、詩人のキャリアが生かされている。踏み込みすぎてほとんどネタバレ状態のもあるが、それはそれ。この河出世界文学全集も、池澤夏樹さんだから読んでいるようなもの。 その期待に100%応えているのが、この短篇集。どれもこれも珠玉だらけ。プロット・キャラ・オリジナリティに優れた短篇のお手のような傑作から、不条理譚なのに巨大な隠喩だと解釈すると仰天するしかない作品、「もののあわれ」とはコレだという指摘が腑に落ちる、で

    「短篇コレクションI」はスゴ本
  • 正しい怒り方

    子どもに「怒り」を教える話。 わたしの息子は怒りっぽい。理由は至極かんたんだ、わたし自身が怒りっぽいから。無茶な割込みをかけるセルシオに怒鳴り、脱税は謝りゃいいんでしょと嘯く政治家は○ねと呪う。教える親こそ未熟者だね。 ささいなこと……計算ミスに気づいたり、誤字を指摘されたりすると、ムキーとなる息子に、「ガマンしろ!」と叱りつけそうになって、ハッと気づく。これは、わたし自身が小さい頃からいわれ続けてきたこと。そう、怒っているときに「怒るな」と強要されることほど理不尽なことはない。だが、わたしは言われ続けた。我慢しなさい、お兄ちゃんなんだから。こらえなさい、もう高学年(中学生、高校生)なんだから、恥しいことだと分かるでしょ? その結果どうなったか?自分の「怒りの感情」とは、抑えるべきもの、こらえるべきものだと教えこまれた。怒りとはウンコのようなもので、適切な場所で排出する以外は、その兆候を漏

    正しい怒り方
  • 「ローマ人の物語」の種本?「ローマの歴史」

    ベストセラー「ローマ人の物語」のタネだという噂だが、それはウソ。もし当なら、塩野七生はもっと面白いを書いただろうから。 モンタネッリの「ローマの歴史」はそれくらい抜群の面白さで、文字どおりページ・ターナーやね。一方、これをネタにした類書は、水で割ったワインのように薄い。そういう意味で、書は、ムダを削ぎ落としたモルツ100%の極上のウィスキーになる。 著者はローマ在住のジャーナリスト。歴史学者の「解釈」を鵜呑みにせず、一次資料にあたるところは、"小説家"塩野七生と同じ。自分の判断を信じ、迷ったらより面白いほうに倒す。「人物」に焦点をあて、キャラ化することで人間くさい感情の動きを再現し、判断の理由を生々しく描写する。すべての歴史は(それぞれの時代にとっての)現代史なのだから、過去の行動は原因と結果によって律せられているはず。歴史とは一連のストーリー付けされた因果なのだ。その真偽はともか

    「ローマ人の物語」の種本?「ローマの歴史」
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