Androidケータイの本命「Xperia」発売! 4月1日、NTTドコモとソニー・エリクソンがAndroidスマートフォン「Xperia」を発売しました。下記記事にもあるように、その熱狂振りからも、「Xperia」がiPhone対抗機の本命のAndroid端末という位置付けになっていることがうかがえます。
このところずっと原発問題のことを書いてきたので、たまには気分転換で... 僕にツィッターを勧めてくれた孫正義さんと食事をした時に、ツィッターを始めてから読む本の量が減りました、とツィッターの弊害を申し上げた。 ツィッター以前は、電車の待ち時間とか、会議が始まるまでの5分とかに本を開いて読んでいたが、ツィッターを始めてから、そうした時間はツィッターにとられるようになった。 結構、この数分の積み重ねが馬鹿にできない。 セオドア・ソレンセンの"The Making of the President 1968"を読み始めたのだが、読み終わらない! ジョン・ケネデイ対リチャード・ニクソンを描いた"1960"は、あっという間に読み終わったのだが。 1968年の大統領選挙は、リンドン・ジョンソンが引退を表明し、民主党はヒューバート・ハンフリー、ロバート・ケネディ、ユージン・マッカーシー、ジョ
今週のテーマ3d illustration of a national flag with a grunge metal texture 菅直人首相による浜岡原発の停止「要請」に対しては賛否両論がありますが、批判の有力な論拠のひとつが「法的根拠に基づかない首相のスタンドプレーであり、『法の支配』に反する」というもののようです。このことに関して寄稿依頼をいただきましたので、「そもそも日本は法治国家なのか」を歴史的に考えてみます。 まず確認しておくべきなのは、しごく大雑把に言って、「法の支配」はそもそも人類普遍の現象ではないという史実です。英国のマグナカルタ(1215年)に典型的なように、それは「封建貴族の既得権益」を君主に認めさせるところから始まった(その手段が身分制議会=立法府の設立)、特殊西欧的な政治体制であり、最初から東アジアには当てはまらないのだと思っておいた方がよいでしょう。 法治
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く