近ごろ日本映画は元気である。 海外映画賞での華々しい活躍や興行収入の増加。80年代以降、長い低迷期にあった邦画界がようやくかつての活気を取り戻そうとしている。そんな中、内々で"70年代最後の天才助監督"と称された一人の映画人がこの世を去った。 下関の演劇青年だったころ大島渚にそそのかされ、 映画監督を夢みて故郷を飛び出した男。 日本のニューシネマブームにどっぷり浸かり、 助監督として不動の地位を築いた男。 しかし、この男が68年の生涯で 本当に夢見た劇場映画を撮ることは一度もなかった…。 ◎時代を駆け抜けた天才助監督/小池要之助 「蘇る金狼」「処刑遊戯」「野獣死すべし」…。 70年代後半から日本映画に旋風を起こした松田優作のハードボイルドアクション。 そんなヒット作の陰に天才助監督と呼ばれた小池要之助の存在があった。現場の立ち回りや出演者への根回し、そして演出の細部にいたる