高度に発達した気遣いは、気違いと区別がつかない
ラノベはなぜ馬鹿にされるのかについて議論した極一部のまともな記事とあほすぎるたくさんの記事がはてなを賑わしている.この問題は,ラノベ天狗が出てきたあたりから急速にネットラノベクラスタの間で広がった.それまでは見て見ぬふりというか無視していたこの問題に対して,何らかの形で言及せざる終えなくなったからである. 私は,最近のラノベについて雑な語りをした人へ突っ込むラノベ天狗を大いに評価している.彼か彼女かは定かではないが,一定のカウンター (最近この言葉は良い意味で使われないなあ) として機能しているからである.このカウンターを受けたあほな人はきょどることは間違いない.好き勝手に発言することには,リスクもあることをそこで知ることになるのだ. しかしながら,この一連のラノベ天狗の行動をよく思わない人もいるだろう.なぜなら,明確な敵意を持って浅慮な発言に対応することはその当事者をおびえさせるだけでは
先月投稿した記事のおまけです。こちらは筆者が把握できた分だけの記載のため、正確性にかけます。 例によって映画、OVAは調べていないのであしからず。 ゲーム作品が元ではないが、ゲームに類するテーマを持った作品(パロディ、オマージュを含む) 1982年 ゲームセンターあらし 1988年 魔神英雄伝ワタル 1990年 魔神英雄伝ワタル2 1990年 NG騎士ラムネ&40 1990年 RPG伝説ヘポイ 1994年 魔方陣グルグル 1998年 遊☆戯☆王(さあ、ゲームの時間だ) 2000年 ドキドキ♥伝説 魔方陣グルグル 2011年 ファイ・ブレイン神のパズル 2012年 織田信奈の野望 2012年 アクセル・ワールド 2012年 ソードアート・オンライン 2012年 BTOOOM! 2013年 アウトブレイク・カンパニー 2013年 ログ・ホライズン 2014年 ディーふらぐ! 2014年 ノーゲ
ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。 定義が曖昧で、玉石混交で、定性的に評価されるもの全般のことね。 すると、自分の感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。 定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。 そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、 その架空の人形をサンドバックにするのは、とても簡単だ。 そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。 まず、ライトノベルの批判を否定形から追い込んでいく「無い」事の証明は難しい。 だから「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。 表紙がアニメ絵である。太宰治はライトノベルか? 表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。 だから、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙
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