伝説 会田綱雄 (1914〜1990) 湖から 蟹が這いあがってくると わたくしたちはそれを縄にくくりつけ 山をこえて 市場の 石ころだらけの道に立つ 蟹を食う人もあるのだ 縄につるされ 毛の生えた十本の脚で 空を掻きむしりながら 蟹は銭になり わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い 山をこえて 湖のほとりにかえる ここは 草も枯れ 風はつめたく わたしたちの小屋は灯をともさぬ くらやみのなかでわたくしたちは わたくしたちのちちははの思い出を くりかえし くりかえし わたくしたちのこどもにつたえる わたくしたちのちちははも わたくしたちのように この湖の蟹をとらえ あの山をこえ ひとにぎりの米と塩をもちかえり わたくしたちのために 熱いお粥をたいてくれたのだった わたくしたちはやがてまた わたくしたちのちちははのように 痩せほそったちいさなからだを かるく かるく 湖にすてにゆくだろ