池田には応神天皇のころ、大陸から呉織・漢織の2人の織り姫がこの地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝説が残っています。 この伝承は、一般には、『日本書紀』応神(おうじん)天皇37年条に、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)を呉に遣わして縫工女(きぬぬいめ)を求め、呉の王から呉織・漢織らを与えられたという記述を題材にしたものだと考えられています。 ※ 『日本書紀』 「巻第十 誉田天皇(ほむたのすめらみこと)応神天皇」「巻第十四 大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)雄略(ゆうりゃく)天皇」に、この縫工女招致に関する伝承が収められています。 『国史大辞典 4 き‐く』によると、「ただし、応神紀・雄略紀のこれらの織工女の記事は、同じ内容のものを分けて記したか、あるいは前者は後者の記事の混入ではないか、といわれる。」とあります。 ※呉織は呉服、漢織は穴織とも書きます