こんばんは、さじです。 ミュージシャンの故忌野清志郎氏を知ったのは高校1年生の時です。倫理の教師は初回の授業で「倫理とはどんな授業なのか皆さんはまだわかってないと思う」と生徒に問いかけ、教室に運びこんだラジカセで、ある曲を流しました。初めて間近で会った反原発を唱える人物が彼。20代後半でした。 授業は興味深いものでしたが、当時から主張の偏りは感じてました。出身が何か関連していたのか、再処理施設のことも話していたと覚えてます。 普段生活している電気がどこから給電されていたのかは、東日本大震災で知りました。それまでは考えたこともなかったです。 震災後、都心の官公庁の集まる中心部を除き、自分が住む東京市部も計画停電となりました。1日のうち数時間電気がストップしただけですが、それでもとても寒くて水筒の温かいお茶をありがたく思い、電気の無い生活の不便さを思い知りました。被災地はもっと寒かっただろうに
![幻想だとしても願わずにはいられない。 - ゆるっと広告業界](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d140bd98b8987e91dea0e3dc56da28d6017a5e8f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fc%2Fconasaji%2F20220312%2F20220312101445.jpg)