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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/shugohairanai (7)

  • 第85回「居酒屋」は、「ISAKAYA」か「IZAKAYA」か - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    皆様、明けましておめでとうございます。2016年初頭の今回は、昨年暮れにはシリアからの難民受け入れが当地カナダでも大きな話題になりましたので、難民の母語と受け入れ国の公用語に関係のある話題を取り上げてみましょう。 移民が受け入れ国で話されている言葉を習得する際に、どうしても母語の影響を「お国訛り」として残してしまう傾向があります。これが「母語の干渉」と呼ばれるものです。一例を挙げましょう。「自分の子供達」のことを話していて「サ」が濁らず、「メサンファン(mes enfants)」と発音する移民がいたら、その人の母語は、ほぼ間違いなくスペイン語だと言えます。同じように、「私の友達たち」は正しいフランス語の「メザミ(mes amis)」でなく「メサミ」と発音されます。 その理由は実はフランス語の方にあると言った方がいいかもしれません。仏語を外国語として習った日人なら誰でも知っている「リエゾン

    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/03/02
    「連濁回避のルール」うーん。おもしろい。
  • 第84回「ひらがな革命と国風文化」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    つい先日、インターネットで、NHKの人気番組「その時歴史が動いた」(NHK大阪放送局制作)の特集「ひらがな革命」を見て感動しました。この番組が放映されたのは2006年ですが、ほぼ十年後の今年(2015)、地球の裏側のカナダに住む私がそれをネットで見ることが出来たのですから、何ともいい時代になったものです。毎回よく調査された「歴史の決定的な瞬間」が、谷川賢作作の印象的なテーマ曲をバックに展開、解説されるので、楽しみながら勉強出来るいい番組です。今回私が見て殊の外感動したのは『ひらがな革命:国風文化を生んだ古今和歌集』というタイトルでした。ざっと内容を紹介することにしましょう。 時は今からおよそ1100年前の10世紀初頭。宇多天皇に仕える二人の有力な人物がいました。互いに好敵手の、右大臣の菅原道真(845-903)と左大臣の藤原時平(871-909)です。よく知られているように、道真は時平らの

    tohokuaiki
    tohokuaiki 2015/10/29
    マナカナか!!“何よりも「真名vs.仮名」という命名に明らかに現れています。”
  • 第82回「消えたミスター・残ったミスター - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    前回は、日常生活でよく使われる言葉をいくつか挙げて、元を辿るとその言葉は人名、それもその言葉と深い関係のある人物の名前だったことを、シルエット氏(フランス人)、サンドイッチ氏(イギリス人)、レントゲン氏(ドイツ人)の三名を実例としてご紹介しました。何だ、そんな例なら他にも知ってるぞ、と思われた方もいるでしょう。そんな反応を予測して、今回もさらに例を並べてみたいと思います。次回からは別な話題へと移ります。 人名が普通名詞になった例で多いと思われるグループは病気の呼び方です。世界で最初に症例を医学雑誌や学会で報告した医者や病原菌を発見した科学者の名前がそのまま病気の名前になった例です。思いつくまま挙げてみますと、パーキンソン病、アルツハイマー病、ダウン症候群、バセドウ病、ハンセン病など浮かんできますが、これらの多くは、元々発見者の名前の後に「氏」、つまり「ミスター」が添えられて、「これは発見者

  • 第77回「和子は、どうして「かずこ」と読むのか」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    今回の話題は「和子・和夫(和男)」という名前についてです。あるとき「和子・和夫(和男)という名前の人はみんな長女・長男だよ」と主張する人がいて、それが全く初耳だった私はとても驚きました。ましてや、その直後にバンクーバーで会社を経営されている上田(こうだ)和男さんとお会いする機会があり、そのことをお話したら「確かに、私は長男です。それにの名前は和子で、やはり長女です」とおっしゃるのではありませんか。そう言えば、最近ちょっと話題になっている「鶴見和子を語る:長女の社会学」(2008年:藤原書店)というがありますが、この題なども上記の主張にぴたり当てはまりそうです。 あまりに気になったので、インターネットで調べてみました。すると、「和子・和夫という名前の人に長女・長男が多い」というのはあくまで傾向で、そうでない場合もあることが分かりました。例えば、著名なマルクス主義思想家、経済学者で、一時は

  • 第66回 「和語と親しむ(6): つらい・かたい・にくい」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    今月も和語の話を続けてその6回目としよう。表題は和語の形容詞「つらい・かたい・にくい」とした。漢字で書けば「つらい」は「辛い」、「にくい」は「憎い」だ。「かたい」には様々な漢字があって、「硬い・固い・堅い」などとあれこれ思いつく。 これらの形容詞を取り上げるのは、これらが一つの顕著な特徴を共有しているからだ。それが何か、ご存知だろうか。もしすぐ答えられる人がいたとしたら、きっと日語を外国語として教えた経験があるに違いない。 正解は、これらの形容詞の全てが、動詞の連用形に後置して「~するのが難しい」という意味を表すという点である。だから「信じがたい、言いにくい、べづらい」などとなる。この共通点が分かりにくいのは、おそらく「連濁(れんだく)」のせいである。トリオの内、「つらい」と「かたい」では、語頭が濁って「づらい(例:分かりづらい)」、「がたい(♫忘れがたきふるさと」などとなるからだ。こ

    tohokuaiki
    tohokuaiki 2011/01/28
    なるほど。「かたい」さんお疲れ様でした。
  • 第59回 「朝青龍、角界を去る」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    語ものがたり(第59回) 「朝青龍、角界を去る」 2年前、この連載51回目「横綱の品格」(2008年3月)に以下のような文章を書いた。ちょっと長いが2段落引用する。 「横綱朝青龍の「品格」が様々な出来事を通じて疑問視されているのはご周知の通りだ。朝青龍に横綱の品格が疑われる最大の理由は、「伝統的相撲精神」からの逸脱である。相手を睨みつけて威嚇したり、ガッツポーズと思える仕草をしたり、自分の親方との上下関係を理解せずに親方を無視したり、懸賞金を左手で受け取るなどのルール違反を平気でするからである。そこに感じられるのは「強ければいいんだろう」という驕りでしかない。 何度も指摘されるように、横綱には強いだけではなく「心・技・体」が求められる。「けたぐり・張り手」など「小細工」を使わず、「自然物を彷彿とさせる」風格と勢いで相手を圧倒するしてこそ「横綱相撲」と日人は賞賛してきたのだ。2006年

    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/02/18
    じゃあ、なんで日本人が力士を遣らないかって話ですよ。
  • 第58回 「恐るべき麻生読み」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

    以前、この欄に「安倍首相の日語力」(第46回)と「福田首相辞任劇」(第52回)を書き、辞任の際の記者会見で、この二人の日国首相がどんな日語を使ったかを紹介した。「あっだけ物議ば醸(かも)したったい。『麻生読み』のこつも書かにゃ」 とメールをくれたのは熊友人である。それに応えて、今回は、昨年8月末の衆議院総選挙に大敗して首相の座を降りた麻生太郎氏のことをお話しすることにしよう。ちなみに、麻生氏は1976年のモントリオール五輪にクレー射撃日本代表として参加しており、当地とはご縁のある政治家である。五輪での成績は41位だった。 麻生太郎氏ほど、マスコミに日語力を揶揄された首相はかつてなかったろう。首相就任前は「失言問題」が心配だと言われた人物だが、蓋を開けてみると、それよりも国民が驚かされたのは「漢字誤読問題」であった。麻生氏と言えば漢字という風に、マスコミにさかんに取り上げられた。

    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/01/29
    まー、それ以外がけた外れに有能だったら麻生さんもとやかく言われなかったんだろうな。
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