「ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去」を読んで思ったことなど。 おそらく、レスポンスビリティは「趣味」の問題としても発生しうる。あるものが声を上げたとき、それに対してどう振舞うかを決めるのは趣味であろうとなかろうと究極的には自分だ。そこには決断という自己決定がある。その意味で、決断とは倫理の問題ではないだろうか。 決断を行うこと、それを再帰的に展開していくこと、あるいはそれを途中からコミュニケーションの様相に応じて変化させていくこと、そしてその結果を引き受けていくこと――それはやはり「趣味の問題であろうとなかろうと」ひとつの倫理なのだ。それゆえに、けして「趣味の問題」などというカジュアルな言葉で切り捨てるわけにはいかない、独自の深刻さと戸惑いというのがポストモダン・リベラルにはある。 その深刻さと戸惑いとは、とりもなおさず自己が無根拠の中から何かを選択しな