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ブックマーク / innhatrang.hatenadiary.org (3)

  • (5) - land and ground

    では題に入ろう。 私はいったい何を問題にしているのか。 それは、この20世紀的思考が言明と言明に還元されないもののあいだに打ち立てた、恣意的で限定的な関係である。 そして言明のみを思考可能なものとし、それ以外のものを十把ひとからげに思考の枠外におくものの考え方である。 20世紀的思考は、決してすべてが言明であると言っているわけではない。 はじめから言明以外に何もなければ、なにかを言明に還元する必要もないだろう。 なにかを言明へと還元する作業は、言明に還元されるところのものを要請する。 しかし、言明に還元されるところのものが、言明化によって完全に言明に移行してしまっては、還元されるところのものがなくなってしまう。 これでは、やはり言明化が成立しない。 したがって、言明化には言明に還元されないものが不可避的につきまとう。 この言明に還元されないものが<語りえぬもの>である。 このとき、言明は

    (5) - land and ground
  • 2008-04-24 - land and ground [「トランスクリティークとポストモダン」草稿]柄谷行人を読む(37)補論II:「日本ポストモダニズムの<起源>:柄谷行人、浅田彰、東浩紀」前編

    柄谷行人の「言語・数・貨幣」は、第二章から唐突に議論の様相が変化する。この論稿は、「内省と遡行」(1980年)以降の柄谷の試みの集大成となるべく、1983年4月から雑誌「海」に連載がはじまった。しかし、その議論は途中から動揺し、同10月には未完のまま連載が終了してしまう。そしてその後、柄谷が同じ試みを繰り返すことはなかった。なぜ、それは打ち切られなくてはならなかったのか。おそらくそれを解明する鍵が、この第二章にある。 整理してみよう。「言語・数・貨幣」の議論は、基的には先行する論稿「形式化の諸問題」の構図を踏襲している。最初に柄谷は、形式化と形式体系を区別する。そして形式化の徹底により、形式体系は自己言及的な形式体系となるとする。この自己言及的な形式体系において、一元的な形式体系はその一元性を保証するものを失い、解体される。同時に一元的な体系は、自己言及的な形式体系の自己言及性を禁止する

  • land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」

    『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してきたが、稿はそれとは独立した単独の論稿である。それでも、稿を読んで細かい議論に興味をもった方には、「草稿」と「『世界共和国へ』を読む」は参考になると思う。サルトルについては、あらためて時間をかけて取り組むつもりである。 また、稿の完成に先立って柄谷行人氏とお会いする機会があった。後半部分は、そのときのやりとりに着想をえて書いたものである。付記するとともに、この場を借りてあらためて柄谷氏に謝意を述べたい。 鈴木 基 ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれる

    land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」
    tokada
    tokada 2008/04/28
    トランスクリティークは積ん読。
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