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ブックマーク / motidukisigeru.hatenablog.com (4)

  • 東浩紀の批評が嫌われるわけ 2008-11-15 - 東浩紀の文章を批評する日記

    何事もなかったかのように更新。 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/17 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/18 こちら経由で(面白かったです。このエントリの内容も触発されたところが大きいです)、 http://www.hirokiazuma.com/archives/000460.html こちらを読む。 古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった

    東浩紀の批評が嫌われるわけ 2008-11-15 - 東浩紀の文章を批評する日記
  • ■ - motidukisigeru’s diary

    http://www.hirokiazuma.com/archives/000245.html さて、東浩紀氏は、上記でアテンション・エコノミーについて書いていた。 少し調べてみた。そもそものアテンション・エコノミーの記述は、Michael H. Goldhaberの以下の講演(だと思う)。 これは1997年のものであるから、現在から見ると時代遅れの部分もある。 http://www.firstmonday.org/issues/issue2_4/goldhaber/index.html ついでに彼の最近の講演のスライド。pdfファイル。 http://www.well.com/user/mgoldh/MMIG.pdf どうもウェブ界隈の議論を見ていると「アテンションエコノミー」は、「ユーザーの目先の時間をぶんどること」という話になってるみたいだが、元々はそうじゃないようだ*1。 アテンシ

    ■ - motidukisigeru’s diary
    tokada
    tokada 2006/09/06
  • インタラクションとかなんとか - motidukisigeru’s diary

    さて「ゲーム性」という単語が、往々にしてゲームの性質そのものを語るためではなく、「難易度信仰」と「選民思想」を正当化するために持ち出されラベルである、と、昨日書いた。 「難しいゲームを理解できる俺、エライ!」というわけだ。 「文学性」とか「作家性」とかも似たような言葉だ。 ブンガクとは何か、オリジナリティとは何か、というのではなくて、要するに「難しい作品を理解できる俺、エライ!」と言いたいがために使われる言葉である。 これらは言い換えれば「自慢しやすさ」≒「語りやすさ」である、と、言えよう。 ゲームでもラノベでもなんでもいいが、「語りやすさ」というのは、その作品の価値の一つである。が、その価値の全てではない。 当たり前だが、これを忘れる人が多い。 例えば、ここに一冊のマンガがある。一人の読者が、このマンガを屋で買ってから読み終わるまでについて考えてみよう。 まずは、屋のどこに並ぶか、だ

    インタラクションとかなんとか - motidukisigeru’s diary
  • ■ - motidukisigeru’s diary

    いろいろあって、1年半ぶり以上の新記事となる。 いや久々に見たら、あまりに変わっていなくて笑ってしまったので。 「美少女ゲームゲームなのか」 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0608/30/news096.html 「インタラクション性よりも、中に描かれているものに対してゲーム性を感じている」 http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0608/30/news083_2.html 俺も中学くらいの時、とにかくやたら、ゲーム性という言葉を、振り回してイタい議論をしていた。 今になって思えば、そういう文脈の「ゲーム性」というのは、たいてい、狭い意味での戦術性、くらいの意味だったんだが。 戦術性があって面白いゲームもあれば、戦術性と別のところで面白いゲームもある。言葉にすれば、ただそれだけのことだ。 が、「

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