2009年10月4日のブックマーク (6件)

  • asahi.com(朝日新聞社):宿泊ビジネス、業者を告訴へ 生活保護費を詐取容疑 - 社会

    生活保護受給者に宿泊施設をあっせんする複数の事業者が、明確な説明をせずに不当に高い家賃や費などを保護費から徴収しているとして、全国の弁護士らが支援して受給者が月内にも刑事・民事両面で法的措置に踏み切る。順次、詐欺容疑などで刑事告訴する一方、不当利得の返還などを求める民事訴訟を起こす方針。生活困窮者を狙った「貧困ビジネス」の被害は後を絶たず、各自治体も実態調査を進めている。  弁護士らが法的措置の対象に挙げているのは東京、埼玉、千葉、愛知、大阪にある約10の事業者。いずれも任意団体やNPO法人、不動産業者などで、社会福祉法に基づく「無料低額宿泊所」や無届けの施設を運営する。主に路上生活者を勧誘して住居を提供したうえで生活保護を申請させ、月12万円前後の保護費から生活費を徴収している。  住環境は改装した社員寮や倉庫、老朽化した賃貸住宅の手狭な一室が多く、家賃のほかに費や布団使用料などの名

    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
    こういうのが違法なのだとすると、「明確な説明をせずに不当に安い賃金で働かせる競争」は経済原理にかなうから合法なのだ、という理屈が、そうするとわからなくなる気もする
  • ハトラップ

    2009年9月29日公開プープーテレビ

    ハトラップ
    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●白金の山現代(http://www.yamamotogendai.org/japanese/exhibition/index.html)で、小林耕平「右は青、青は左、左は黄、黄は右」。すっごく面白かった。目から鱗というか、ヴィデオという装置はこの作品のためにこそ開発されたのではないかと思うくらいだ。 利部志穂と小林耕平がいるのだから、「現代美術なんて退屈だ」なんて、今後二度と口にすることが出来なくなった。シーンとしての現代美術、ジャンルとしての現代美術がひたすら退屈だとしても、しかし、すばらしく面白く、刺激的な作品をつくる作家がすくなくとも二人はいるのだから、それだけで、かなりすごいことではないだろうか。この二人が刺激的な作品をつくりつづけてくれる限り、ぼくはなんとか希望を見失わずにやってゆけると思う。別に現代美術に限らなくても、シーンの動向とか、ジャンルの全体性とかを問題にしている限

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
    ビデオには私の視点と世界そのものが写り込む
  • 森靖初個展「好きにならずにいられない」at YAMAMOTO GENDAI

    現代では来る8月30日(土)より高木正勝個展「イタコ」を開催いたします。 1979年生まれ、京都府出身の高木正勝は自らが旅先で撮影した映像の加工やアニメーションによる映像制作と、ピアノやコンピュータを使った音楽制作の両方を手がけ、CDやDVDのリリース、展覧会やコンサートなど幅広い活躍で知られています。 今回の展覧会では「Lava」(2008)と「Tidal」(2007)の2作品をご紹介いたします。これらは高木の魅力の一つである「溢れんばかりの色彩」が他の作品に比べ極端に少なく、新たな一面を見せています。 「Tidal」は、少女の顔と髪の毛のみの要素によって構成されていますが、高木の持つ「光」を捉える能力、それを表現する力が多分に発揮され、躍動感のある浮遊した世界に、見る者を引き込みます。絵の具で描かれたような肌質の少女の表情からは、ある種の「死」が読み取れますが、その恍惚から、

    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
    《なぜ、解いてもいないのに、「解けそうな気がする」のか。 それは解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。》
  • 読中日記 (8) - キッチンに入るな

    tokyocat
    tokyocat 2009/10/04
    「でも、言葉自体にそもそも運動性があるわけです。言葉が言葉を呼ぶというか、一行目が二行目を呼び、一行目と二行目が三行目を呼ぶというような。エッセイの場合は、自分がその運動性の中に入っていく感じですね」