●「オブジェクト指向存在論」は、雑駁にとらえれば、「私――/(私の知覚)/――世界」という関係の問題において、私と世界とを媒介する「私の知覚」から「私」を取り除いて、そこにモノや媒介の機能を代入するという方向性をもつように思われる。そこで、モノや媒介の多様な「媒介する」機能とそれらが作り出すネットワークとを、具体的に明らかにしてゆこうとするのだと思う。そうすると「私」さえも、モノたちの様々な媒介作用とそのネットワークの結果であるということころに行き着くだろう。 それはそれで非常におもしろくて興奮するのだけど、しかし、それによって「わたし」の問題が完全に還元され、「わたし」を消去することができるとは思えないので(ハーマンの「実在的対象」は、徹底して孤独なモノであると同時に、徹底的に孤独な〈わたし〉でもあるように思うし、「魅力」という概念は一種の汎クオリア主義のようにも読める)、そっち方向の探