フッサール 本書は、ドイツ出身の哲学者エトムント・フッサール(1859~1938)による著作だ。1907年、フッサールがゲッティンゲン大学にて行った講義の原稿をもとにしている。1950年に出版された。 フッサールは現象学の創始者として知られている。本書はその現象学の出発点に位置する著作だ。現象学の基本的なモチーフ、考え方は何か、また、何を私たちは現象学から受け取ることができるのかについて確認するには最適な著作のひとつだ。 とはいえ、本書は決して読みやすくはない。というより、一読しただけでは、哲学の天才でない限り、ほとんど何を言っているか理解できないはずだ。 哲学書を読んでいると、時おり超難解な著作に出会うことがある。プラトンやデカルトなど、集中して文章を追っていけば、前提知識がなくても、何を言わんとしているか受け取ることができることもあれば、表現自体が難解で、何が問題となっているかさえつか
対談で語る上野千鶴子 1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。2011年朝日賞受賞。著書に『近代家族の成立と終焉』『ナショナリズムとジェンダー』『生き延びるための思想』『おひとりさまの最期』『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』など多数。 社会学者で日本のフェミニズムの第一人者、上野千鶴子が、6月30日放送の「情熱大陸」(毎日放送制作/TBS系)に登場した(2019年7月7日までMBS動画イズムで見逃し配信中)。 どちらかといえば社会を「斬る」側の学者、その中で最も大きな影響力を持つ上野が、社会と格闘するさまをテレビカメラがとらえる。それを見たいというのは、社会学者である私の欲望でもあった(これまで彼女は、こういった密着取材は断ってきたらしい)。ちなみに1998年にスタートしたこの人物ドキュメンタリー番組で学者を取り上げた例は
本稿のテーマは、前回にも述べたように「無」あるいは「死」であるが、そもそも今という時代において、「無」や「死」についてあらためて論じることに一体どのような意味があるのだろうか。 「無」も「死」も、概念としては自明のことであり、それらについてそれ以上あれこれ論じたり、考えたりする余地はないように見える。 つまり「無」について言えば、それは「何もないこと」であり、それがすべてである。もしかりにそれについて何らかのことを語るとすれば、その瞬間にそれは「有」になり、もはや「無」ではなくなっているだろう。それについて何も語れないのが「無」ではないか。そしてまた、「死」が端的な「無」だとすれば、死についても同様ではないか。 以上のような考えは、現代という時代を生きる日本人のほとんどが“常識的”と考えている物の見方であり、またそれは日本人に限らず、大きく言えば近代社会という時代において自明なもの、あるい
16GBにおよぶWikipediaの全テキストがDNAに保存できました2019.07.05 12:0043,933 ヤマダユウス型 液体ハードディスクとか石英ディスクとか、未来のストレージってすごいよね。 マイクロソフトがDNAストレージを商業化すべく頑張っていますが、ボストンのスタートアップ企業CATALOGが面白い成果をあげたようです。英語版Wikipediaの全テキストをDNAに保存したとニュースになっています。 Holding the entire 16 GB of Wikipedia written in DNA between my fingers! Congrats @catalogdna!!https://t.co/vjaoqjZcSlpic.twitter.com/qlwgfnaZxg — Jun Axup, PhD (@junaxup) 2019年6月30日はい、これが
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く