http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040528-00000050-kyodo-int また、フリージャーナリストが襲われた。あの橋田氏ですら。安全圏から「報道」するマスゴミ各社はどのように報じるのか?「自己責任」か、「英雄」か? いずれにせよ、私たちがイラクにどう関わっていくのかの議論が欠落した状態は、双方にとって不幸であることでしかない。 (前編のあらすじ) 1989年4月2日、ぼく(鹿島)は反原発運動のなかで知り合った漫画家志望の山本、パンクの林君、フェミニストの幸渕などとともに、反天皇制などを掲げたライブとデモを主催。デモには謎の男、太田リョウが現れ、野次馬を巻き込んで異様な盛り上がりを見せる。これを機にぼくたちはグループ「馬の骨」を結成。東京電力PR館で騒ぐなどの行動を行う。6月4日、前夜におきた天安門事件に抗議する中国人留学生のデモに偶然にも
ちょっと、2日ほどに分けて、友人の鹿島拾市が書いた思い出話を紹介したい。これは、孤高のアナキスト、故・向井孝氏とおつれ合いの水田ふう氏、元・「思想の科学」の中島雅一氏の3氏が主宰していた「黒/La Nigreco*1」に掲載された文です。 *1:http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/index.html イラク反戦運動に若者が多く参加していることが話題となっている。インターネットなどを通じた動員型じゃないネットワークのあり方などが新しさとして取り上げられているようだ。仕事や生活の忙しさにかまけて、ぼく自身はほとんどデモにも顔を出していないが、伝わってくる様子を聞いていると、ぼくが若い頃に遭遇した1980年代後半の、反原発運動をはじめとした大衆運動の小さな高揚からつながっている面が感じられる。自発的なネットワークなどは当時、すでにニューウェーブなどと言
No one should ever work. Work is the source of nearly all the misery in the world. Almost any evil you'd care to name comes from working or from living in a world designed for work. In order to stop suffering, we have to stop working. That doesn't mean we have to stop doing things. It does mean creating a new way of life based on play; in other words, a ludic conviviality, commensality, and maybe
鹿島拾市 ナチスの弾圧を逃れて、多くのドイツ人共産主義者がソ連に亡命した。だが当初は英雄として迎えられた彼らは、その数年後には「社会的危険分子」として、あるいはこともあろうに「ファシストのスパイ」として、強制収容所に送られていったのである。 一九三九年八月、独ソ不可侵条約が電撃的に結ばれ、スターリンと独外相リッペントロープがモスクワで固い握手を交わす。ロシアの図書館からは反ファシズムの本が姿を消し、かわりにナチスドイツの出版物が並べられるようになった。 マルガレーテ・ノイマンは、カザフ共和国のカラガンダ収容所に入れられていたが、この時モスクワの監獄に呼び戻され、GPU将校の礼儀正しい面接を受けた。将校は尋ねる。「外国にご親戚はいますか」。ノイマンは、パリに姉がいること、フランスのビザを持っていることなどを勢い込んで訴えたが、将校はこれをさえぎって言った。「いや、そうじゃないんです。ドイツに
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