明治4年(1871)8月、政府は「散髪脱刀令」を布告して断髪を許し、これを奨励しました。有名な「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という詞は、同年5月『新聞雑誌』第2号に掲載されて流行したものです。すすんで断髪し、いわゆる“ザンギリ頭”にする者が増える一方、髷に執着する者も多くありました。明治6年3月に明治天皇が断髪をしたことで庶民の断髪に拍車がかかりますが、ちょん髷姿が見られなくなるには、もう少し時間がかかったようです。 明治初期に描かれた画報や錦絵を見ても、新旧様々の髪型が入り交じっていたことがわかります。『明治事物起源』(石井研堂著)では、「頭髪の百人百色なりしは、明治5、6年ころ最も甚だしく...」とあり、東京市内における断髪者の率は「明治8年頃は2分5厘(25%)、10年頃は6分(60%)、14年頃は8分(80%)、16年頃は9分(90%)、21、22年頃は全く斬髪の