本間 昭光(ほんま あきみつ、1964年12月19日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー[1]。大阪府八尾市出身。株式会社イソラブル(isolablu)代表。別名義にak.hommaがある。 アーティストの楽曲提供やアレンジ、プロデュースを中心に活動し、レコーディングやライブの際は主にキーボードの演奏を行う。 初めてシンガーソングライターとの関わりを持ったのは槇原敬之で、槇原のヒット曲「もう恋なんてしない」は当時失恋した本間のために槇原が作った楽曲である[2]。 1990年代には広瀬香美のプロデュースを手掛け、並行して広瀬と共同で様々なアーティストへ楽曲提供を行った。また、初期の浜崎あゆみのサウンドプロデュースを手掛けていた。 ポルノグラフィティでは、1999年のメジャーデビュー時から2011年まで、自身の提供曲、及びメンバーによる作曲を含むほぼ全ての楽曲に