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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (11)

  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2008/11/19
  • 早くおばさんになりたかった - 深く考えないで捨てるように書く、また

    http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20071029/1193662554(主にコメント欄) http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20071030/1193745937 こちらを読んで、つらつらと。主に自分語り。 以前、ここでこんな記事を書いたことがある。 「女らしくしたくない」女のとる、もう一つの道 - 深く考えないで捨てるように書く 私は10代の頃から、早く「おばさん」になりたいと思っていた。 「おばさん」になれば、女として競わなくてすむから、と思っていた。 10代女子は、ただ10代女子というだけで、自分の望むと望まざるとに関わらず、女として評価を受ける場に置かれる。容姿のことだけでなく、性格の傾向やいわゆる「女らしさ」、見合いの釣書に書かれるようなこと(家庭的だのなんだの)に対して。これから生殖適齢期に向かう生物としては当然のことで

    早くおばさんになりたかった - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/10/31
    老け顔・ド低音ボイス・愛想なし の三拍子揃っていて、通常ピチピチといわれる時期を少しも楽しめなかったワタシは、日々刻々とおばさんに近づきつつある今少しずつ人生が楽しくなりそうでwktkしております。
  • 心の秘孔 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    なんというか、人の思考、心の中には、いわゆるツボというか秘孔というか、そこを突かれると精神的に瀕死になる、という部分があるみたいで。 こういうのは普通に生活しているだけだとあまり見えない(そりゃ自分の最も弱いポイントや死にそうに弱くなってしまった自分をそうそうそのへんの人に見せる人はいないので)が、ネットで見ているとけっこういろいろとあるんだな、ということに気がつく。そういう意味でネットは勉強になる。 重要なのは、そのポイントは人によってさまざまで、こういうところはみんな秘孔なものですよ、とか、ここはまず大丈夫ですよ、という共通点があまり見られないことだ。 秘孔を突かれると、突いた側は大したことしてない(言ってない)つもりなのに、突かれた側はとんでもないことになる。心理的もにぐちゃぐちゃ、感情は沸騰し、しかもなかなか収まらなくて、いつまでもいつまでもぐちゃぐちゃの心理を引きずるはめになる。

    心の秘孔 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • ネット上で一人称を「あたし」という男の話 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    あけましておめでとうございます。新年第一弾。 はてな界隈で、ネット上での男女のコミュニケーションとかなんとかいう話を読んだので、そのあたりから思い出した話。 ニフティのパソコン通信仲間に、一人称が「あたし」の男がいた。 主な棲息地はフォーラムのRT(チャット)なのだけれど、会議室にも書き込みしていた。もちろん「あたし」。 彼が初めてRTに登場したとき、彼が男であることを誰も疑わなかった。当時のパソコン通信では女性は非常に稀だったので*1、よっぽど女性的な言葉遣いをする人や明らかに女性的なハンドルをつける人でない限り、まずは男と思え、というのが常識でもあった。ちなみに彼のハンドルは性別不詳のものだった。 いずれにしろ、彼はネカマをするつもりは毛頭なく、こちらも誤解することなく、ごく普通に男性としてその場に溶け込んだ。一人称は「あたし」のまま。 まあ、ニュアンスとしてはボヤッキーとかつボイノリ

    ネット上で一人称を「あたし」という男の話 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/06/18
    「縁は異なもの味なもの」
  • でもネットはそこが良い - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書くという記事を書いた。 これだけを読むと、「つまりネットの人間関係には期待しないということか?」だの「ネットで友達をつくるなんて発想はおめでたいとでもいうのか?」だの「友人にもなれないような相手になんであれこれ心情を吐露できるの?」だの、いらない行間を読むこともできてしまう。 だが、そういう話ではないのだ。むしろ逆。 ネットでは、友人同士だなんだなんて暑苦しいことを言わなくても、心の中をぶっちゃけてもしまえるし、他人の吐露した心情を受け止めることもできるし、共感したり、感心したり、また逆説的だけど、できれば友人にはなりたくないような人の気持ちや発言を真っ正面から読むことすらできる。あるいは、普通なら自分じゃ友人になどなれないようなすごい人の話を読んで、反応することさえもできる。 ネットでは友人だの親しいだの繋がりが深いだの、そうい

    でもネットはそこが良い - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/06/17
    >あの人はあなたと仲のいい誰々さんとは仲が悪いよ、とか、~そんなのは現実世界だけでお腹一杯。 現実世界でも消化しきれてないワタシは、それがネット上でも当然な状況になったらネットやる意味がなくなるな
  • ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書く、また

    それなりにネット歴も長いので、ネットで知り合った知人はまあまあたくさんいる。中には15年以上のおつきあいになる人もいる。 しかし、その中で友人といえる間柄になった人は一人もいない。もうすこし正確に言うと、私から見て友人友達といえると思う人は一人もいない。 私にとって、迷いなく友人といえるのは、学生時代に知り合った人々のうちの何人かだけだ。今では遠方に行ってめったに会うこともなく、電話やネットを含めても言葉をかわすことも少ない人もいるが、しかし今でも友人だと感じている。 だからといって、ネットで知り合った人たちとの精神的距離が遠いかというと、そうでもない。ネットにいる限り、いろいろと話をする機会は多く、むしろ友人には話さないような腹を割った話をすることもある。罵倒コミュニケーションを気軽にとれるくらい親しく話しあう人もいる。 しかし、それでも、彼らを友人と呼ぶことにためらいがある。 このよ

    ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近つらつらと考えているのは、人はいつから男/女になって、いつから男/女でなくなるのか、ということ。 もちろん、基的には受精した瞬間からオスかメスのどちらかに決まっていて、この世に生まれた瞬間からオス=男、メス=女ということになって、生きていく。ヒトは性染色体の異常がない限り(表現形と一致しない場合はあるが)オスかメスのどちらかで、性染色体の異常がある場合でも、表現形としてはオスかメスかどちらかになる。 一方では、心理的に男でも女でもない時期というのもある。小さな赤ん坊は、自分が男であるか女であるか分からない(それ以前に人であることもまだ分からないのだが)。自分の経験や観察からは、だいたい3歳くらいで男と女には違いがあることに気づき、自分はそのどちらであるか自分なりに規定する、という感じのようだ。2歳ではまだそのあたりの区別はあまりついていない。しかし、この3歳の時点ではまだ単なる区別で

    幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/06/06
    幼少時から周囲をよく見る女の子ほど、「女の子らしくしたい」と自然と思うのかもしれない。ワタシは全然周囲なんか見ていなかったから、超絶お転婆だったのかも[後で再考?]
  • 「女らしくしたくない」女のとる、もう一つの道 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「女らしくしたくない」女がみんな男っぽくなりたいとは限らない。女性でありつつ、一般的に要求されるような「女らしさ」、最近の言葉で言えば「女子力」的なものを使いたくない、という場合もある。 「女らしくしたくない」女のとるもう一つの道って、腐女子じゃないのかな、と思った。 タイトルでは「もう一つの」と書いたけど、実は腐女子化以外にも道はあって、それは母化。 お母さん的というか、面倒みのいいおばさん的なスタンスをとるやり方。これが意外と座りがいい。 腐女子化に比べると、それなりの立場を保ちつつ、女性的でもありつつ、でも恋愛・性愛対象からははずされやすい。 どっちも過去の自分ですが。 【追記】(2007.5.11) はてなブックマークコメントで「腐母」と言われて悶絶しました(いい意味で)。いい言葉だ。勇気が出る。それをひとは蛮勇と言うのだろう。どうもありがとうございます。

    「女らしくしたくない」女のとる、もう一つの道 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/05/10
    感覚としてはよくわかる。しかし「母」は「女としての究極の存在」のはずなのに、それが「女らしさ回避への策」にもなるというのはとても興味深い話
  • 鉄っちゃんとカーマニアについての考察 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    私の夫は、いわゆる「鉄」、鉄っちゃんである。 とはいえ軽めの鉄で、あえて言うなら「読み鉄」あるいは「知り鉄」とでもいったところだろうか。そんな言葉が分類としてあるのかどうか知らないが。鉄道関係のを読んだり知識を得たりすることが好きなようだ。知識という点に限れば、変な駅名だの、車両の型番だの、時刻表のなんとやらだの、ナントカ鉄道の歴史だの、どこで乗り換えれば運賃が安くなるだの、車体のからくりやら鉄道事故に関する話やら、広い範囲で読んだり知ってたりする。 そんな夫に聞いて知ったことなのだが、バスや航空機に興味がある人々のことも「鉄」に分類されるのだそうだ。実際、夫は航空機も好きなのである。バスってゴムの輪ついてるよ? ガソリン(いや、軽油?)で走るよ? レールないよ? 飛行機なんか空飛んじゃうよ。でもみんな「鉄」の仲間なんだそうな。 で、乗り物系でくっきり分かれるのは、自動車・バイク。これら

    鉄っちゃんとカーマニアについての考察 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/04/26
    おもろい!これもしかして「女性(男性)の趣味」にも通じたりして。鉄さん:ツンデレ・気まま・女王様タイプ好き カー・バイクマニア:従順・素直・妹タイプ好き とか?(尻馬暴論)
  • 無関心突出型非コミュについて - 深く考えないで捨てるように書く、また

    昨日話題になっていたこれをやってみた。 socioarc | 非コミュ指数テスト 結果は自分のブックマークコメントにも書いたけれど、こんなふう。 非コミュ指数: 26(レベル1/軽度非コミュ/無関心型) 無関心度だけ突出してほぼリミットまで伸びてる。 結果自体は予想通りというか、小学生時分から、大切な人々とどうでもいい人々(自分にとってコミュニケーションに労を割く意義のない人々)の区分けがはっきりしている質だという自覚があるので、まあ当然こうなるだろうなぁ、というものであった。 それはいいのだが、自分としては、それが非コミュの要素だという気がしない。 だって、それで困っていないもの。自分も(たぶん)相手も。 日常生活の中で、基的に必要なコミュニケーションはできてるわけだ。そう苦労しているわけでもない。今は仕事をしていないが、以前仕事をしているときも、特別コミュニケーションで困ったことはな

    無関心突出型非コミュについて - 深く考えないで捨てるように書く、また
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/04/13
    「我非コミュと思う、故に我非コミュなり」って感じ?ああ、それはあるかもしれないな。ところでワタシはどこも突出せずどっしり高めで安定したグラフを描いた不器用型でしたが、意外と少数派のようので驚いた。
  • 属性を嫌うのは結局楽な道なのだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また

    属性を嫌ったり憎んだりするのは、実は楽なんだ。その相手人と直接対峙しなくて済むから。 この歳になると、ひと人と対峙することがそう苦痛でなくなって、誰かを嫌ったり憎んだりすることも自分自身の重荷として直接自分で担えるようになったから*1、属性だけで判断しないようにしよう、という心がけができるようになった。しかし、やはり若いころというか、思春期にはなかなかそうはできなかった。 男は云々。大人は云々。社会は云々。etc. レッテル貼りともちょっと違う。レッテル貼りは、まずそこに一人の人がいて、その人をジャンル分けしてそのジャンル・属性で判断する、という行為。 属性を嫌う、憎むのは、そこに人がいてもいなくても、その属性自体に対して判断している。つまり、実際に存在する人を嫌ったり憎んだりしなくても済む。 人を嫌ったり憎んだりするのは、やはりネガティブなエネルギーを発するものだし、それに伴う罪悪感

    属性を嫌うのは結局楽な道なのだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また
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