晩年の延べ7年強を東京都三鷹市で過ごした太宰。自殺を図った玉川上水は、太宰が暮らしていた地の近くを流れています。 多摩川の水を羽村取水堰(せき)で取り込み、都心部に供給していた玉川上水。 現在はさらさらと流れるせせらぎですが、これは東京・新宿にあった浄水場の廃止(65年)で上水路の役割を終えたから。それ以前は水量の多い急流でした。 特に三鷹市付近は蛇行が激しく、水流で岸がところどころえぐられ、穴があちこちにできていました。転落するとなかなか見つからず、自殺場所に選ぶ人が後を絶ちませんでした。 この上水に身を投げた人は、48年の上半期だけで太宰を含めて16人にも上ったそうです。太宰の捜索中にも、5カ月前に身を投げた女性の遺体が発見されています。前の年は1年で33人でした。
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