米兵の前でロックを「玉城デニー」歓楽街で過ごした高校時代 社会・政治FLASH編集部 記事投稿日:2018.10.23 16:00 最終更新日:2022.09.12 16:29 10月16日、県知事就任後初の議会に臨み、所信表明を行った玉城(たまき)デニー知事(59)。急逝した翁長雄志前知事の遺志を継ぎ、あらためて辺野古への移設反対を表明、日本政府を批判した。 いったい、デニー知事はどのような人生を歩んできたのか。 【関連記事:小泉進次郎の演説メモを独占入手】 「沖縄市から知事を!」 白黒のビラがまだ一部の電柱に残っていた。沖縄県第二の都市・沖縄市。中心となる旧コザ市は米軍嘉手納基地の門前町である。 「過去の衆院選挙では、ほとんど、話してこなかった」(デニーの秘書)という生い立ちを、知事選では自ら積極的に支援者に語りかけた。 デニーの父親は名前もわからない米海兵隊員。母親は飲食店に住み込み