当時は炭鉱事故を「非常」と呼称し、「大非常」とは大事故のことを指す。 大非常が起きたのは、開鉱から6年後の1914年(大正3年)12月15日、みぞれが降る寒い朝であった。9時40分に地底から大音響が響き、昇降機が鉄塔の上まで吹き飛ばされ、坑内から噴きあげた爆煙が真っ黒なキノコ雲となり、立ち昇って空を覆った。この爆発は非常に大きなもので、当時の証言や新聞記事では「雷が地底から吹き上げた様な」「巨砲十数門を一度に発射した如き轟音」「8キロメートル四方まで爆音が響いた」「近隣の窓ガラスは衝撃波でことごとく割れ、坑口から数百メートル以内の人が爆風でなぎ倒された」などと綴られ、大非常の凄まじさを伝えている。この爆発の衝撃で、彦山川の対岸にあった三菱金田炭鉱で落盤が発生し、1人が死亡、1人が重傷を負った。 坑長の吉澤一磨は、対策本部を設置し事態収拾にあたった。まず坑内の消火のため排気口を封鎖し、鎮火後