現在朝日新聞で連載されている「ヤマトをたどって」という連載記事があります。 あるひとつのテーマを深く掘り下げていく「○○をたどって」という連載企画で、ヤマトに関わった人、影響を与えた受けた人たちについて書かれています。 (ヤマトをたどって:10)その成功がジブリ生む:朝日新聞デジタル しかし、昨日の第10回目を読んで疑問に思うことがあったのですね。 これは本当なのでしょうか? 手塚治虫が泣いた? 私が引っかかったのはこの部分でした。 「要するに『さらば宇宙戦艦ヤマト』は、浪花節でしょう。それが受けるということは、僕が戦後、日本という国を変えるために子どもらに提供してきた漫画は、意味がなかったということですか!」 手塚治虫はそう叫ぶと、感極まって泣き始めた。 「さらば」の公開から2カ月後の1978年10月。アニメ制作の重鎮6人が集まり、座談会をした。司会の手塚は当時49歳。「さらば」が
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