七代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2月19日 - 1996年9月22日)は、日本の落語家。出囃子は、『独楽』。前名は笑福亭 松葉で、死後7代目松鶴を追贈された。本名∶倉本 雅生。 来歴[編集] 大阪府大阪市西成区岸里に生まれる[1]。小中学校(在学したのは、港区内の大阪市立波除小学校・大阪市立市岡中学校)を通じて学業成績はよかったが、「これからは手に職をもっている者が勝つ」という父の意向で大阪市立都島工業高等学校に進学する[1]。高校卒業後、キリンビール尼崎工場に入社したが、まもなく落語家になることを決意し、1970年7月11日に6代目笑福亭松鶴に入門した[1]。この弟子入りに際しては、「一番怖そう」という理由で松鶴を選び、弟子入りを認めるかどうかの返信を求める往復ハガキを出した[1]。これらの経緯は兄弟子の笑福亭鶴光と同じである[1]。鶴光には返事が来なかった[2
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