ゲーセンによくあった「The house of the dead 2」のTASです。desyncがラスボスすぎて最初手動で操作したり、追記ほとんど使ってなかったりします。ほぼすべての敵にHS2発以上入れてます。(特にスコア目指したりとかはして)ないです。作ったTAS mylist/50684453←前 次→(sm26705120)
斉藤由多加 (Yoot Saito) さいとうゆたか 東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など 株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。 今日、訃報が発表になった任天堂の岩田社長さん・・亡くなられてしまったんですね・・・。 僕が知りあった頃の岩田さんは、1997年のことですから、スーツを着ていない岩田さんでした。甲府のHAL研にてお会いしました。岩田さんは、ゲーム
http://www.gamecreator-senmon.com/present_condition.html この辺を見れば理解しやすいです。 一言で言うなら、ゲームを発売するのがパブリッシャー、 開発するのがディベロッパーになります。 具体例で言うなら、任天堂はゲームの開発から販売まで手がけるので、 パブリッシャーでもあり、ディベロッパーでもあります。 両方兼ねる場合、通常はパブリッシャーと呼ばれます。 但し任天堂のゲーム全てが、 任天堂が開発しているわけではありません。 「ゼノブレイド」と言うゲームは、 任天堂が発売していますが、開発はモノリスソフトが行っています。 「NARUTO-ナルト- ナルティメットヒーロー」は、 バンダイが発売していますが、開発はサイバーコネクトツーが担当しています。 このように、発売は他社に任せて開発を行うゲーム会社を、 ディベロッパーと呼びます。 ディ
任天堂の代表取締役、岩田聡さんが亡くなられたというニュースを見て、非常にショックを受けています。あまりにも偉い方になられていたので、もう長年お会いしたことはありませんでしたが、引退されたら久しぶりに昔話でもしに遊びに行こうと思っていたからです。 岩田さんに初めてお会いしたのは、1982年の8月だから33年も前のこと。岩田さんが23歳の新入社員だった時代です。 高校2年生とプログラムを共同開発 高校2年生だった私は、夏休みを使って当時のパソコン、NECのPC-8001用にサウンドボードを開発し、それを駆動するためのプログラムを作ったのです。自画自賛ですが、とてもよくできたので、雑誌で見かけた会社に連絡をし、買い取ってもらえないか交渉をしていました。 5社ほど面談に行った会社の中で、第一希望だった会社がHAL研究所。5~6人の小さな会社で、そこで対応してくれたのが岩田さんでした。 結果的に、H
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