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2015年7月25日のブックマーク (6件)

  • 早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」

    早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」 ライター:西田宗千佳 2015年7月11日,任天堂の岩田 聡氏が逝去した(関連記事)。その訃報を耳にして,驚かなかったゲーマーはまずいないだろう。2002年に同社社長に就任して以来,「ニンテンドーDS」や「Wii」といった大ヒット商品を世に送り出した立役者が亡くなったことに,国内外問わず多くのゲーマーやゲーム業界人が,哀悼の意を表していた。 その岩田氏を追悼するコラムを,フリーランスジャーナリストの西田宗千佳(にしだ むねちか)氏が,同じくフリーランスジャーナリストである小寺信良氏と共同で発行している有料メールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」で発表している。そのコラムは,岩田氏が任天堂で成し遂げた成功といった輝かしい面だけでなく,近年におけるビジネスの苦戦とその理由まで分析した

    早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」
  • WiiU『スプラトゥーン』ディレクター阪口氏が語るレベルキャップ開放や無料アップデート継続、そして彼は寿司を握る | t011.org

    先日も海外メディア Nintendo Lifeの独占インタビュー映像が公開されていた、Wii U『スプラトゥーン』のディレクター阪口翼氏。今度はEurogamerが行ったインタビューとその映像、またインタビューと仲良く寿司を握るおまけ映像も公開されました。 阪口氏はジャイロコントロールやランク20以上のレベルキャップ、フェスなどについて回答。『スプラトゥーン』が、任天堂がWii Uを発売していこうに培った知識や経験、アイデアを詰め込んだソフトであることを改めて強調しています。 レベルキャップについて現状、大半のプレイヤーがランクの上限である20に到達しています。ジャイロ操作への慣れも含めて、開発チームや阪口氏はもっと時間がかかると考えていたのだそう。なので、上限に到達しているプレイヤーの多さや速さには非常に驚いていると阪口氏はコメント。 「ランク」はギアやモードの開放条件としての側面が強く

    WiiU『スプラトゥーン』ディレクター阪口氏が語るレベルキャップ開放や無料アップデート継続、そして彼は寿司を握る | t011.org
  • Splatoon(スプラトゥーン) TVCM5

    Wii U Splatoonスプラトゥーン) TVCM5 【このソフトの他の動画】 http://www.youtube.com/playlist?list=PLPh3p_yYrx0DN3RlTjmsSzkJgc-RGQEIJ 【このソフトのホームページ】 http://www.nintendo.co.jp/wiiu/agmj/index.html 【Wii Uの動画一覧】 http://www.youtube.com/playlist?list=PLPh3p_yYrx0DewfhtEymYqhH9nT9-0VlJ この動画は60fpsでご覧いただけます。 視聴環境・方法につきましては以下のページでご確認いただけます。 【YouTubeヘルプ 動画を高フレームレートで視聴する】 http://support.google.com/youtube/answer/6124459?hl=ja

  • 「The Healthy Programmer」を読んで自宅を快適なプログラミング環境にする - 八発白中

    柄にもなく健康の話をします。 去年の今頃は京都から東京に引っ越してきたところでした。まだはてなで働いていましたが、勤務形態は自宅からのリモートが主になっていました。週に6日は家から出ずに家でコードを書いていました。昼から早朝まで書いて昼からまた早朝までコードを書くような、ある意味規則的な生活です*1。 この間、生産性はかなり上がっていて、起きているときはもちろん、寝ている間も脳が活動を続け、睡眠中に考えたアイデアを唐突に起き上がってホワイトボードに書き込むみたいな状態でした。 しかし、1ヶ月くらいすると体調が悪くなってきます。なんか左脳の後ろ側が死んでるみたいな。 なんか脳が欠けてる感じがする— fukamachi (@nitro_idiot) January 12, 2014 あと心臓が異常にバクバクする。座るのもきつくなってくるのでだいたいダメ人間ソファに沈んでHHKB叩いてるみたいな

    「The Healthy Programmer」を読んで自宅を快適なプログラミング環境にする - 八発白中
  • 僕はもうプログラミングしなくていいんだ

    大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、

    僕はもうプログラミングしなくていいんだ
  • 人月計算とExcelとスーツの世界より

    俺の住む世界はアイティーとやらに支えられているらしい。 アイティーに関われば、俺の住む世界をさらに素敵なものにしていけるに違いない。していきたい。 そう願って、何も知らなかった文系新卒の俺が金融系のシステム会社に入って、もう一年以上が経つのだ。 昔、お遊びでゲームを作ったことはあった。RPGツクールなんかが好きだった。 だから自分はシステム会社に向いていると思った。 実際、資格取得を勧められて始めた勉強は楽しかった。 浮動小数点数、オートマトン、SQL、スタック、木、論理式。 パズルみたいで楽しかった。コンピュータの中身が理解できて、わくわくした。 楽々と基情報技術者の資格を手にし、半年後にはほとんど勉強もせずにソフ開も取得した。 研修の課題では同期の誰よりも速く、短く効率のいいソースを仕上げた。 現場に出て、番機に触った。 30年間親会社を支え続ける偉大なシステムの中身を、わくわくし

    人月計算とExcelとスーツの世界より