日本で10年、米国で10年プレーした松井秀喜選手がユニホームを脱いだ。「ゴジラ」のニックネームが示す通り、頑強そのもののような体も、古傷の両膝が悲鳴を上げていたようだ。「思うような成績が挙げられない」と、日本時間28日の早朝にニューヨークで行われた引退会見でちょっと無念そうに話した。「これまで野球しかやってこなかったので、いろいろな勉強をして、今後のことを考えたい」と、相変わらず冷静な受け答えだったが、松井選手の野球人生そのものは強い印象を残すものだった。 ▽通算507本塁打 1992年夏の甲子園大会。石川・星稜高の4番松井が高知・明徳義塾高から5打席とも敬遠されるという前代未聞の出来事が起こって、一躍注目された。その年のドラフト会議で4球団が1位指名で競合する中、巨人・長嶋茂雄監督が当たりくじを引き当て、人気に拍車がかかった。巨人では本塁打王と打点王を各3度獲得、首位打者にもなり不動の4