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2021年4月12日のブックマーク (9件)

  • 2021年 桜花賞回顧 ソダシの奇跡を伝える言葉が見つからない - 関内関外日記

    なんかちょっと月曜の朝になったら世間は松山英樹の快挙で大騒ぎになっていた。でも、昨日の一般ニュースとかでもちょっと流れていたのが桜花賞のソダシだったと思う。競馬を知らない人でも「クーリンガーより白いな!」って思ったに違いない(違う)。 というわけで、ソダシは白毛馬なのである。白毛馬というのは、もうその存在だけで珍しいものなのである。ユキチャンが現れるまでは、もう、大井のハクホウクンくらいしかいなかった。 db.netkeiba.com たぶん、ハクホウクンのぬいぐるみとかもあったような気がする。とはいえ、ハクホウクンの実力はとうと、大井のC2くらい、だった。それでも、白毛の馬が普通の馬に混じってレースして、それなりの着順を拾うことは、それだけでたいへんなことだったのだ。 ああ、しかし、ハクホウクン、なんか大きなレースのある日に出てくることが多かったような気がする。確かめはしない。あと、「芦

    2021年 桜花賞回顧 ソダシの奇跡を伝える言葉が見つからない - 関内関外日記
    toya
    toya 2021/04/12
    わかる……「ソダシの親戚の白いのが中央初勝利や重賞勝ちをして、それもすごいことだったのだが。というか、ソダシが中央G1を去年勝ったのもすごいのだが。というか、語彙が「すごい」しかなくなるのだが」
  • 親の名前をそこで切るな - 堺風の頭部

    私は競馬見る時は血統表を眺めるのが好きなのだが、見てるとどうにも落ち着かない馬名つけられてる馬をよく見かけたものだった。 父親にあたる種牡馬の名前を取って名付ける、というのは非常によくある話で、サンデーサイレンスの産駒に○○サンデーとか○○サイレンスはうじゃうじゃいた。 ブライアンズタイム産駒の冠号+ブライアンは、ナリタを筆頭に、アグネス・イシノ・オグリ・シルク・ダイワ・タガノ・タニノ・ダノン・テイエム・ノボ・フサイチ・マイネル・マルブツ・ヤマカツと有名冠号がうじゃうじゃいる。 しかしその、親の名前の取り方がおかしい例が、ちょくちょく見られる。 サーペンフロの場合 80年代くらいに供用されていた種牡馬にサーペンフロというのがいる。 アイルランド出身で、アイルランドダービー3着、G2とG3を勝ったくらいの地味な馬。名馬Sir Ivorの産駒で、Sir Ivorの全弟ロードリージが日で種牡馬

    親の名前をそこで切るな - 堺風の頭部
    toya
    toya 2021/04/12
    ダイシンボルガードをどこで切ればいいのかわからないという気持ちを思い出した
  • 私の灯台巡り

    2009年、東日大震災の二年前に宮城県気仙沼の灯台を巡ったときに、立ち寄ることが出来なかった龍舞埼灯台に、2023年夏に訪ねることが出来た。震災後の復興が進み、以前は船でしか渡れなかった大島に橋が架かったことが今回の訪問を可能にしてくれていた。二つ前の記事『岩井埼灯台(震災前に訪ねた記憶とともに)』で対岸に見える大島に立つ灯台として紹介したのが、今回紹介する龍舞埼灯台である。 もし2009年に船に乗って訪ねていれば、龍舞と言う地名などで、きっとこのブログでうるさくまとめていたに違いないが、今回は震災の爪痕や復興を見続けている旅の途中であり、灯台やその地名の由来よりも震災前後での姿や現状を淡々と感じながら 巡った気がする。復興後に出来た橋を渡って、しかも南北につながる復興道路から直通で渡れることもあり、予想以上に観光客は多かった。10台程の埼に続く駐車場は、ほぼ満車で、ちょうど出庫した車の

    私の灯台巡り
    toya
    toya 2021/04/12
  • 「シュガー・ベイブの後、なぜポンタにドラムを頼んだか」山下達郎が初めて語った戦友・村上“ポンタ”秀一 | 文春オンライン

    ◆ ポンタは話を盛るからね(笑) 山下達郎(以下、山下)「すごいですよね。村上ポンタを文藝春秋が扱うなんて(笑)。追悼記事が先日の文春オンラインに載ってたけど」 ――そもそもはポンタさんの語り下ろし自伝(「自暴自伝」)が、文藝春秋から出ていたといういきさつがありまして。 村上“ポンタ”秀一の自伝「自暴自伝」(2003年、文藝春秋刊)。真保みゆきいわく、「全十回、数十時間におよぶインタヴューを再構成していく作業には、やったことはないが“砂金採り”というのは、こういうものかもしれないなあ。そう思わせるものがあった」(同書・構成者後記より) 山下「それはいつ頃?」 ――2003年です。 山下「じゃあ、一番体調が悪かった時期かな。少しは良くなってたのかしら」 ――取材中、缶チューハイは飲まれてました。10回ほどインタヴューしたんですが、語りのすべてが事実だったのかどうか、判然としないところもあっ

    「シュガー・ベイブの後、なぜポンタにドラムを頼んだか」山下達郎が初めて語った戦友・村上“ポンタ”秀一 | 文春オンライン
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    toya 2021/04/12
  • 「演奏のタイム感が本当にジャストなんですよ」山下達郎が初めて語ったドラマー・村上“ポンタ”秀一 | 文春オンライン

    を代表するドラマー、村上“ポンタ”秀一さんが3月9日、入院先の病院で亡くなった。70歳だった。 1970年代にリリースした「SPACY」や「イッツ・ア・ポッピン・タイム」などのアルバムで、スタジオミュージシャンとしてポンタ氏を起用していたシンガーソングライターの山下達郎さん(68)が、20代の当時から気鋭のミュージシャンとして同じ時代を生きた“戦友”との思い出について振り返った。 インタビュアーは音楽ライターの真保みゆき氏。真保氏は、ポンタ氏がデビュー30周年にあたって出版された自伝「自暴自伝」(2003年、文藝春秋刊)の構成を手掛けた。 (#1より続く) ◆ 「LOVE SPACE」イントロの“タム回し秘話” ――とはいえ、細野さんとポンタさんを組み合わせるという発想自体、今振り返ってみても「よくぞ」としか言いようがないと思うんですが。 山下「そうですか。でも、僕にとって日で一番

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    toya 2021/04/12
  • 八ヶ岳の麓で『2拠点』はじめました。先輩移住者との出会いで一歩を踏み出す、八ヶ岳デュアルライフ体験ツアー開催

    八ヶ岳の麓で『2拠点』はじめました。先輩移住者との出会いで一歩を踏み出す、八ヶ岳デュアルライフ体験ツアー開催 前略、「2拠点居住」を気で実現させたいアナタへ 移住、ワーケーション、二拠点生活…。以前は限られた人だけの選択肢と思われていた地方での憧れのライフスタイル。それが昨今、このコロナ渦をきっかけに働き方や価値観が多様化し、より多くの人達にとって手の届く選択肢となり始めています。 そして、そんな八ヶ岳エリアに、ひときわ二拠点生活者が集う場所があります。それが長野県の富士見町にあるコワーキングスペース「富士見 森のオフィス」です。 富士見町の移住促進を目的に2015年にオープンした同施設は、文字通り森に囲まれた自然の中にあり、中に入ると吹き抜けになった開放感溢れる空間が広がっています。 また、2019年11月にはオフィスに隣接する宿泊スペース「森のオフィスLiving」も完成。移住や二拠

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    toya 2021/04/12
  • 中居くんがいればテレビ業界は安泰だと確信した「中居正広 ON AND ON AIR」 - edamameのテレビブログ

    テレビブログでラジオのことを書くのは少しはばかられるが、4月3日に放送されたニッポン放送の「中居正広 ON AND ON AIR」は当に素晴らしかった。 radikoで4月7日11:14までタイムフリーで聴けるそうだ。30分間、何かをしながらでもいいので、ぜひ聴いてほしい。もしそれ以降にこのブログを見た方は、申し訳ないけれど、この拙いブログを読んでくださいませ。 このラジオ放送では、中居くんの、自身が司会をする番組に対する思いがぎっしりつまっている。テレビではふざけていたり、ただただ楽しそうに出演している中居くんだが、こんなにも真剣に番組やスタッフのことを考えているということを知り、私は中居くんがいる限りテレビ業界はずっと安泰だと確信した。 先月、中居くんの冠番組「新・日男児と中居」が最終回を迎えた。この番組の放送期間は2年弱なのだが、この番組の終了は、1996年に始まった「中居くん温

    中居くんがいればテレビ業界は安泰だと確信した「中居正広 ON AND ON AIR」 - edamameのテレビブログ
  • 生涯忘れられない一曲です。「Sexy.Honey.Bunny!」V6 | BRUTUS.jp │ ブルータスのウェブ

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    toya 2021/04/12
  • ITエンジニア 丸20年を迎えて – 計画よりも適応を | こえむの編集後記

    2001年4月に就職してから、丸20年になります。早いものです。せっかくの節目なので、これからのことを整理するために文章に認めます。 出張がてら、年単位ぶりに東海道新幹線に乗れたので、その間の時間が久しぶりにできたってのもあります。 これまでを振り返る 2001年4月に、ソフトウェアエンジニアとしてITエンジニアのキャリアをスタートさせました。 現在まで、業のみだと7社に就業し、そのうち4社がスタートアップです。職種は、業のみだとソフトウェアエンジニアITインフラエンジニア、プロダクトマネージャ、プロジェクトマネージャ、そしてソリューションアーキテクトの5つを経験しました。 対外活動は、出版したは2冊、雑誌の連載は4回、講演は9回、査読論文のアクセプトは1件になります。 特別なイベントとしては、1社でIPOを経験できたことです。 収入も、勤めている企業とそのステージで大きく上下して

    ITエンジニア 丸20年を迎えて – 計画よりも適応を | こえむの編集後記