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ブックマーク / suumo.jp (103)

  • ライムスター・宇多丸さん「原風景は、誰もいないポツンとした後楽園」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 柴那典 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、ラッパーとして、『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)のパーソナリティとして、八面六臂の活躍を続けるライムスターの宇多丸さん。 ライムスターの楽曲「東京、東京」で「オレは港区生まれ 文京区育ち 周りは至ってフツーの人たち」と歌ったとおり、生粋の東京っ子である宇多丸さん。その全方位的なカルチャーに対する造詣の深さは、どのような東京と

    ライムスター・宇多丸さん「原風景は、誰もいないポツンとした後楽園」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
  • 特別な年となった2020年。変わりゆく街「吉祥寺」に思うこと(文・月山もも) - SUUMOタウン

    著: 月山もも 社会人生活が始まると同時に吉祥寺からほど近い場所に住み、15年が経つ。 その間に3度転職し、職場は早稲田→渋谷→吉祥寺→渋谷と移ったけれど、引越しを考えたことは1度もない。 と言うと「よほど吉祥寺が好きなのね」と思われるかもしれないけれど、そういうわけでもないのだ。「住みたい街ランキング」常連の吉祥寺だけど、住む前も今も「吉祥寺が好きだ」という思いは、特にない。 そんなだから2020年の4月、吉祥寺に閉じ込められることになったときは、正直「勘弁してくれよ」という思いしかなかった。けれど、こんなに長い時間吉祥寺にいたのは初めてだったので、少しだけ、街に対する印象も変わったかもしれない。 私と吉祥寺の15年間と、いま現在の吉祥寺に対する思いについて書いてみたいと思う。 甘い言葉に誘われて住み始めた吉祥寺 もともと学生時代は、東急東横線の祐天寺に住んでいた。 渋谷から3駅という近

    特別な年となった2020年。変わりゆく街「吉祥寺」に思うこと(文・月山もも) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/09/10
  • 突然の脳出血で人生が変わった。俳優・河合美智子が「豊岡」へ移住した理由【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

    取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 「豊岡は、ひとことで言って『最強』です。海があって山があって温泉もあって。緑が豊かで水がおいしい。だからべ物も、とってもおいしい。え? 豊岡の欠点ですか? う~ん、何をべてもおいしいから太っちゃうことくらい(笑)」 このように兵庫県の「豊岡」を絶賛するのは、俳優の河合美智子さん(52)。 河合美智子さんは14歳のとき、永瀬正敏とのWデビューが話題となった相米慎二監督作品『ションベン・ライダー』の主役に抜擢され一気に頭角を現しました。その後、映画『恋人たちの時刻』のヒロイン村上マリ子や、青春ドラマ『卒業』(TBS)の寺内友子など、少女から大人へと移りゆくナイーブで多感な演技が多くの視聴者を魅了したのです。 一転、1996年(平成8年)

    突然の脳出血で人生が変わった。俳優・河合美智子が「豊岡」へ移住した理由【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン
  • 札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な

    札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン
  • 坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々(文:きくち) - SUUMOタウン

    著: きくち遡ること約10年、ある年の春、浪人という名の無味乾燥とした懲役労働のような日々を終えて、都内某大学に入学した。現役入学という主要な潮流に乗り遅れ19歳になっていた僕は、浪人生活の合間、大学生活漫画の金字塔『げんしけん』を読むことにより、猛々しく妄想を膨らませていた。 キャンパス内でめくるめく繰り広げられるサークル活動によって、自らの大学生活が、晩春の新緑も恥じらうような爽やかな青春群像劇になるのではないか。そう思っていたのである。 4月中旬、僕はそんな浅薄な期待を胸にたずさえ、適当に勧誘を受けた適当なスポーツ系のサークルに入ることを決めた。 全国から集まった友との交歓、目標を共有し高め合う日々、同級生との一夏の恋……そんな学生生活の漫画的理解は、秋を待たずして、全てが誤解を切り貼りしただけのハリボテであることが判明した。 学生生活の現実は総括だった 数回の練習への参加を経て、夏

    坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々(文:きくち) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/06/19
    「社会適合者は一様に似通っているが、社会不適合者はそれぞれに社会不適合である」 就職が決まっていた僕に、中西はアンナ・カレーニナのようなこと言って、目を閉じた」
  • 自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン

    著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 黄昏時の自由が丘駅前 その名のウカレた印象から苦手だった町・自由が丘。 群馬の田舎から上京した当初は、何となく近づき難いハイソな山の手の町に思えたのだ。しかし、それは偏見に過ぎなかったと今は思う。 実際に訪れてみると、自由が丘は地形的に非常に面白く、私にとって住みたくなる町の代表的な存在だったからだ。 ※編集部注:記事は3月初旬に企画し、取材は緊急事態宣言が発出される前に行われました 谷の中の喧騒と、丘の上の静寂 私は東京スリバチ学会の会長として、その土地特有の微地形*1に着目し、町の魅力を発掘する活動をしている。 町の発展や歴史には、立地と微地形が深く関係してるが、自分の場合はそのなかでも特にスリバチ状の谷間や窪地に関心を寄せている。「東京にそんな場所があるの?」と疑問を抱く方も多いと思うが、渋谷・四ツ谷・市ヶ谷・谷中など「谷」のつく地名の多さ

    自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン
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    toya 2020/05/21
  • 新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由とは? 矢部太郎さんの住まいの歴史 - マンションと暮せば by SUUMO

    お笑い芸人の矢部太郎さん。1階に住むご高齢の大家さんとの交流を描いた漫画『大家さんと僕』は、シリーズ累計120万部を突破。年齢も性別も異なる二人が次第に家族のように心を通わせていく様に、多くの人が胸を打たれました。 しかし、大家さんとの暮らしに至るまでは、階下にライブハウスや居酒屋がある物件で騒音に悩まされたり、過激な自宅ロケが原因で更新を断られたりと、なかなか定着できなかったといいます。今回矢部さんには、そんなこれまでの住まい遍歴と、「大家さんの家」を出たあとの現在の暮らしについてもお話しいただきました。 初めての一人暮らしは「重低音」のするマンション ―― 矢部さんは東京の東村山市出身。20歳で芸人になってからも、しばらくは実家住まいだったそうですね。 矢部太郎さん(以下、矢部):そうですね。一人暮らしを始めたのは、24歳ぐらいのころだったと思います。それまでは実家に住んでいたんですけ

    新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由とは? 矢部太郎さんの住まいの歴史 - マンションと暮せば by SUUMO
    toya
    toya 2020/03/25
    「そういえば、霊媒師のオーディションみたいなことも、うちでやってましたね。番組が勝手に僕の住所を教えちゃうので、突然ピンポンが鳴って上がってくるんですよ、霊媒師が」
  • 仕事は「岡山」、息抜きは「東京」──イラストレーター島田フミカネ【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 丸大輔 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 第2回目の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『ストライクウィッチーズ』の原作や、『武装神姫』『ガールズ&パンツァー』『アリス・ギア・アイギス』のキャラクターデザインなどで知られるイラストレーターの島田フミカネさんです。 岡山県出身の島田さんは、地元で会社員として働きながら、イラストレーターとしての活動もスタートしました。20代半ばで職場を退職し、1年半ほど東京と岡山の二拠点生活を送りましたが、その後、帰郷。現在も地元・岡山を拠点に活動を続けています。 少女とメカ、両方の魅力

    仕事は「岡山」、息抜きは「東京」──イラストレーター島田フミカネ【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/02/27
    「戦車や飛行機といったミリタリーには、そういった法則がない。人の形ではない「戦車」や「飛行機」のデザインをどのようにして人の形に落とし込むのかということを一から考えなければいけないんです」
  • 金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン

    執筆: 榎並紀行(やじろべえ) 2019年12月に出版された『ごろごろ、神戸。』(ぴあ)は、写真家・文筆家である平民金子さん初のエッセイ。2015年に東京から神戸に移住した平民さんが、子どもを乗せたベビーカーをごろごろと押しながら神戸の街を歩き、考えたことを綴っている。 その発端となったのは、2016年にSUUMOタウンに寄稿した「ごろごろ、神戸」。以後、神戸市広報課のウェブサイトに「ごろごろ、神戸 2」として引き継がれ、「ごろごろ、神戸 3」まで約3年にわたって連載された。 そこから大幅な加筆や、書き下ろしを加えたのが書籍『ごろごろ、神戸。』だ。今回は、その出版を記念し、昨年12月に行われたトークイベント(旧グッゲンハイム邸)から一部内容を抜粋してお届けする。 『ごろごろ、神戸。』(ぴあ) / 著:平民金子 / 1600円(税別) 登壇者は平民金子さんに加え、ロック漫筆家の安田謙一さん

    金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン
  • 街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン

    著: むらたえりか 行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。 そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。 自転車で駆け巡った仙台の「道」 仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。 今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。 仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ご

    街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン
  • 「場」をつくれば予想外の出会いが生まれる。20点から始まった曽我部恵一さんの上京物語 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 柴那典 写真:谷浦龍一 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、ミュージシャンの曽我部恵一さんです。 香川県で育った曽我部さんは、大学進学を機に上京し、1992年にサニーデイ・サービスを結成。バンド解散後は下北沢にインディーズレーベル「ROSE RECORDS」を設立し、やはり下北沢の駅近くにレコードショップとカフェを併設した「CITY COUNTRY CITY」を開業するなど、街に根ざした活動を続けてきました。 田舎の洋服屋で知り合った仲間とバンドを結成した思春期のころから、サニーデイ・サービスの名盤『東京』をつくったときのこと、そして変わりゆ

    「場」をつくれば予想外の出会いが生まれる。20点から始まった曽我部恵一さんの上京物語 - SUUMOタウン
  • 「家」に全財産をつぎこんできた! 倉持由香さんの偏執的マンション遍歴 - マンションと暮せば by SUUMO

    グラビアアイドルの倉持由香さんは今年、東京都心のタワーマンションを購入しました。幼いころから住まいに並々ならぬ思いを抱き、いい家に住みたい一心で仕事を頑張ってきたという倉持さん。月収が約11万円だった22歳の時に、初めて一人暮らしをしたマンションの家賃は7万5000円。家賃は収入の3分の1が目安であると言われていますが、以降も3分の1どころじゃない金額を家賃に充て、ひたすら大好きな「家」の充実を図ってきたといいます。 これまで住んできた倉持さんの「リアル」なマンション遍歴とともに、住まいへのこだわりを語っていただきました。 事務所の台所で、寒さに震えた10代 ―― 倉持さんは13歳から仕事を始め、高校生のころにはすでに親元を離れて暮らしていたそうですね。 倉持由香さん(以下、倉持):はい。16歳で親元を離れて、最初に住んだのは当時所属していた事務所の「台所」でした。 ―― 台所、ですか……

    「家」に全財産をつぎこんできた! 倉持由香さんの偏執的マンション遍歴 - マンションと暮せば by SUUMO
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    toya 2019/12/28
  • 大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO

    立地や間取り、設備など似通った要素を持つ物件は数あれど、そこでの生活の様相は人により全く異なるはず。「私のマンション生活」では、住んだ人だけが知っている住まいとのエピソードをお届けします。今回はブロガーのはせおやさいさんに、初めて一人暮らしをした「ベランダのない」部屋での生活について執筆いただきました。 初めての一人暮らしは「ベランダのない部屋」だった 20代半ば。初めての一人暮らし。ある出来事をきっかけに、当時のわたしは仕事に何が何でも打ち込もうと、会社から近い三軒茶屋エリアで物件を探していた。 いくつか内見をしたなかで、「新築デザイナーズマンション」「東急世田谷線の若林駅から徒歩2分」という良い物件と出合った。当初、譲れない条件であった「二口コンロ」「エレベーター付き」「二階以上」という点も含めて完璧だ。 ただ、一つだけ気になったのが、この部屋にはベランダがないという。 少し悩んだが、

    大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO
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    toya 2019/12/25
  • 玉袋筋太郎さん「絶妙にコクのある、煮込みみたいな東京が好きなんだよ」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、浅草キッドの玉袋筋太郎さんです。玉袋さんは新宿で生まれ育った生粋の東京っ子。小学生のころから、西新宿のビル群や歌舞伎町を遊び場としてきました。幼少期や多感な思春期を新宿で過ごした濃密な日々は、玉袋さんの人となりや価値観にどう影響を与えたのでしょうか。また変わりゆく東京の街について、今どんな思いを抱いている

    玉袋筋太郎さん「絶妙にコクのある、煮込みみたいな東京が好きなんだよ」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
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    toya 2019/12/12
  • きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人の小峠英二さんです。福岡県筑豊地区の田舎町に生まれた小峠さんは、小学生のころからお笑い芸人に憧れ、高校2年生の夏休みを利用したプチ上京を機にその気持ちが沸騰。しかし高校を休学して大阪へ乗り込むも、養成所の面接に通らず挫折。その後、晴れて芸人になってからも、なかなか芽が出ずもがいていました。 東京でくすぶっていた若手時代に、現状を変えるために郊外から都心部への住み替えを決意。以降は、ゆるやかに歯車が回り始め、今に至るブレイクへの道のりが少しずつ開けていったと

    きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】 - SUUMOタウン
    toya
    toya 2019/11/14
  • 散歩しながら大人になった。長い学生時代を育ててくれた街、本郷。(寄稿:ぱれあな) - SUUMOタウン

    著: ぱれあな 散歩が好きだ。歩けば歩いただけ、新しい視界が開けてくる。 たとえそれが、歩き慣れたいつもの道であったとしても。 やがてまた、いるべき場所に戻らなくてはならないとしても。 私の散歩癖を決定づけたのは、郷で過ごした7年間の学生時代だった。 散歩におあつらえ向きの街 大学3年生のときに、東大の理学部2号館という古びた建物に足を踏み入れた。学部2年と大学院5年、計7年間にわたる私の拠地である。 実験し、議論し、文献を読み、論文を書くことが、起きている時間の大半を占める。このいかにも「研究者」っぽい生活が、最初のころは新鮮でエキサイティングだった。 私が主に取り組んでいたのは、昆虫の体の中に棲んでいる細菌。すなわち「共生細菌」の一種だ。この細菌と昆虫は、互いに影響を与え合いながら共存して生きている。まったく異なる生き物どうしが共に生きるという現象のおもしろさに、私はすっかり取り憑

    散歩しながら大人になった。長い学生時代を育ててくれた街、本郷。(寄稿:ぱれあな) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2019/10/24
    「巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない」
  • 最近は“僕の京都”を壊しにかかっているんです――小説家・森見登美彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 杉恭子 写真:浜田智則 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 第1回目の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、奈良出身の小説家・森見登美彦さんです。 京都での学生時代に小説家デビューし、一時は東京に拠点を移した森見さん*1。現在は地元の奈良に戻って執筆活動をしながら、もう一つの仕事場がある京都との間を行き来されています。デビュー作以来書き続けている京都のこと、原風景としての奈良郊外の街への思い、そして「住むこと」と「書くこと」のかかわりについて伺いました。 京都を舞台にしたきっかけは「やけくそ」だった ――森見さんは奈良県

    最近は“僕の京都”を壊しにかかっているんです――小説家・森見登美彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン
  • 時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン

    著: pha 「もしもし」 「はい」 「前に『SUUMOタウン』で、『住んだことのない街に、一週間住んでみる』って企画やったじゃないですか」 「千駄ヶ谷のやつですね」 「あれが好評だったのでまたやりませんか?」 「やります。人の金で行けるんだったらどこにでも行きます」 「どこか住んでみたいところはありますか」 「そうっすねー、海の近くに一度住んでみたかったんですよね。あと温泉があるといいな。温泉に入って海を眺めて毎日ぼーっと暮らしたい」 「じゃあ熱海とかどうですか。海も山も温泉もありますよ」 「いいですね」 そんな感じで、突然熱海に一週間住んでみることになったのだった。こんな仕事ばかりやって生きていきたい。 5月26日(日):男二人で花火を見る というわけで熱海に着いた。 「おう、久しぶり」 熱海駅の前で大学時代の友人のSと合流した。Sがたまたま熱海に旅行に来ているというので会うことになっ

    時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2019/07/18
    自撮り棒の使い方がめっちゃいい
  • シングルマザーになったとき、職住近接を実現させてくれた港区(寄稿・勝間和代) - SUUMOタウン

    著: 勝間和代 離婚してシングルマザーになった34歳の時、それまで住んでいた実家近くの荒川区から、港区に住み替えました。以来ずっと、港区のどこかに住み続けています。 なぜ港区への住み替えを決意したかというと、3人の娘たちの小学校や保育園と、六木一丁目にある当時の職場との距離を近くしたかったからです。小学校や保育園へも職場へも、自転車で10〜15分くらいで行ける物件を選びました。 通勤時間を短くすることで、なるべく家にいる時間を長くしようという意図もありました。とにかく、シングルマザーになって以前より時間がなくなるのが目に見えていたので、それを職住近接で補おうとしたわけです。 家賃や生活費を抑えるために工夫したこと ただ港区に住む上での問題は、何といっても 「家賃がお高いこと!!」 に尽きます。 そこでまず、収入の何パーセントまでなら家賃に充てられるかを計算し、さまざまな物件の1平米当たり

    シングルマザーになったとき、職住近接を実現させてくれた港区(寄稿・勝間和代) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2019/06/13
    家電の写真めっちゃいいなあ
  • ごろごろ、神戸 - SUUMOタウン

    文と写真 平民金子 十数年住んだ東京から神戸に引越して一年がたった。メリケンパーク、ハーバーランド、北野異人館、南京町中華街、三宮、元町、有馬温泉宝塚歌劇といった、ガイドブックに掲載される華やかなイメージを、引越す前の自分もどこかに持っていたとは思う。けれどそういった新生活にまつわる甘い予感は、神戸暮らしと同時期に始まった子育てのいそがしさによって全て追いやられた。寝て起こされてはオムツ替え、寝て起こされてはオムツ替え。そして子どもの機嫌取り。合間にこなす家事雑事で一日が暮れていき、読書映画鑑賞、酒場通い、ふらっと旅に出る事、好きだったことがらが一つ一つ、自分から遠ざかって行くのが分かる。 赤ちゃんという10キロ近い「重り」を抱えての暮らしは、引越し前にイメージしていたものとかけ離れ、家と近所の公園の往復だけで精一杯。ヨメさんと子ども、犬一匹。新生活にそなえて買った「るるぶ」を棚の上に

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