日本KFCホールディングスは19日、阪神タイガースが優勝した1985年に大阪・ミナミの道頓堀川に投げ込まれ、24年後に見つかったカーネル・サンダース人形を廃棄したと発表した。老朽化が激しく、大阪市の住吉大社で人形納めを行った。
旧ジャニーズ事務所のジャニー喜多川元社長(2019年死去)による性加害問題を巡り、TBSの佐々木卓社長は25日の定例記者会見で、同事務所との関わりなどについて、親会社のTBSホールディングスと合同で、社内調査を開始したと明らかにした。 番組制作や報道、営業など、全社的に調査の対象とし、外部の弁護士も加わる。佐々木氏は「中立的な第三者の目を入れ、上場企業としてのガバナンスや人権尊重を推進する」と述べた。 TBS側のコンプライアンス担当役員が20日、同事務所から社名変更した「SMILE―UP.(スマイルアップ)」を訪問し、被害者への補償や救済の進捗状況を確認したという。
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長(2019年死去)による性加害問題で、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会が今月下旬に来日し、被害を訴える当事者への聞き取り調査に乗り出すことが12日、関係者らへの取材で分かった。各国の人権侵害を取り上げ、改善を促す人権理の専門家が実態把握に動き出した。 作業部会は7月下旬から8月上旬にかけて来日し、東京と大阪で当事者のヒアリングを行う予定。弁護士を通じて作業部会から打診があったという。 作業部会は今回の来日で、ジャニーズの問題のほか、被雇用者の人権などについて日本政府や企業関係者らと面談する予定。調査結果を踏まえ、日本に対する勧告を含む報告書が来年6月からの人権理に提出される。 告発者の1人、元ジャニーズJr.の二本樹顕理さん(39)は「世界的に人権意識が高まる中、日本企業もグローバルスタンダードが求められている。日本の隠蔽体質でうやむやにして
ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川前社長による性加害問題で、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会が今月下旬、被害を訴える当事者の聞き取り調査に乗り出すことが12日、関係者への取材で分かった。(共同)
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の高額献金問題を巡り、教団関係者が17日までに共同通信の取材に応じ、年間数百億円にも上るとされる日本から韓国への送金を今後も取りやめると説明した。ただ、送金を高額献金問題の一因とみてきた全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)は実現性を疑問視しており、動向を引き続き注視する必要があると強調する。 教団関係者の説明では、5月に組織改変があり韓国にある本部の機能を大幅に縮小。資金を本部に集約して各国に再配分する仕組みではなくなった、としている。安倍晋三元首相銃撃事件が昨年7月8日に起き、教団の問題がクローズアップされるようになった秋以降、教団は送金を中断しているとされ、全国弁連などからは再開の時期に注目が集まっていた。 弁連の渡辺博弁護士は「日本からの献金(送金)がなければ教団全体は成り立たない。受け取る窓口を変えて今後も続く可能性がある」と話す。教団広報は取
将棋の藤井聡太六冠(20)=竜王・王位・叡王・棋王・王将・棋聖=は1日、長野県高山村で指された第81期名人戦7番勝負第5局で渡辺明名人(39)を破り、4勝1敗で名人を初獲得し、七冠となった。20歳10カ月の名人奪取は最も若く、7タイトル保持も最年少で羽生善治九段(52)に続き史上2人目。残るは王座のみとなり、初の八冠制覇に王手をかけた。 挑戦者として出場した藤井新名人は後手番94手までで勝利。終局後、「持ち時間9時間は初めてのことで、しっかり考えて指すことができた。(名人は)重みのあるタイトルなので今後はそれに見合う将棋を指したい」と話した。 これまでの最年少名人は1983年、谷川浩司17世名人(61)が樹立した21歳2カ月で、藤井新名人はこの記録を40年ぶりに更新。羽生九段が7タイトル時代の96年に全冠独占したのは、25歳4カ月だった。 王座への挑戦者を決めるトーナメントは5月10日に開
どうして日本には女性編集長が少ないの?!ずいぶん違うフィンランドのお国事情 ジェンダーバランスの不均衡が記事・番組に落とす「影」 フィンランド全国紙の元編集長、アヌ・ウバウドさん(左)と東京工業大学准教授の治部れんげさん=2月1日、東京都港区のフィンランド大使館(尾崎純子撮影)
岸田文雄首相は24日の参院厚生労働委員会で、過去にLGBTなどの性的少数者を「生産性がない」と表現した杉田水脈総務政務官に対する野党の更迭要求を拒否した。「職責を果たしてもらう」と述べた。
熊本県内で盗んだ「ママチャリ」に乗って、2カ月以上かけて1千キロ以上を走ってきたとみられる男が神奈川県箱根町で捕まった。男は「離島の出身で、都会に行ったことがなかったので見てみたかった」などと供述 ...
試合終了後、挨拶に来た関学大の主将、副将に一礼する日大・内田正人監督=5月6日、東京・アミノバイタルフィールド いつもなら、試合後挨拶に来た相手チームの主将、副将と握手をして、ひと言声をかける関学大の鳥内秀晃監督が、一礼しただけで手を差し伸べなかった。 ライバル日大の「変質」に、憤りと戸惑いを感じているように見えた。 5月6日、東京・アミノバイタルフィールドで行われた日大と関学大の春の定期戦。昨年12月の全日本大学選手権決勝(甲子園ボウル)の再戦となった定期戦は、今年で51回目になる。 昨季、27年ぶりの大学王者になった日大が宿敵を迎えた「赤と青」の対決には、約3000人収容のスタンドに大勢のファンが詰めかけた。 好ゲームが期待された一戦は、開始早々不穏な空気に包まれる。関学大の最初の攻撃シリーズだった。 日大の守備ライン(DL)の選手が、パスを投げ終えて無防備になっている関学大の2年生Q
第4期棋王戦で加藤一二三・九段(棋王、左)を破りタイトルを獲得した米長邦雄永世棋聖=1979年4月3日 共同通信社主催の将棋のタイトル戦「棋王戦」で、私は第2期、第3期の棋王を獲得した。第2期の予選から第3期の防衛戦までは11連勝している。 1977年度の第3期棋王戦で、中原誠16世名人に3連勝して棋王のタイトルを防衛した直後、東京・渋谷区の将棋会館で故米長邦雄永世棋聖と隣り合わせで対局していた。米長永世棋聖は顔を私の方に向けて、「今度は(挑戦者に)私が出て行く」と突然言った。大内延介九段と中原16世名人の同世代の棋士が負けたので、闘志が湧いたのだと察した。米長永世棋聖は約1年後、実際に第4期棋王戦の挑戦者となった。 第4期棋王戦の5番勝負が開始されて、私は初め2連敗した。第2局では決戦に突入して、読んでいた▲3七銀を指さずに負けた。第3局は新潟市の「室長」で行われることになっていた。当然
取り調べは「拷問」、裁判長は勘違い、エリート調査官も「誤り」 「袴田事件」の経過を改めてたどって判明した、刑事司法のずさんな実態(後編)
「初診は2年後になります」親が絶句する児童精神科の実態 子どもの発達障害なかなか診ず…実はパンク状態、その深刻な背景
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