私は世界に一枚だけのTシャツを持っている。 それは10年以上前の話だ。私が瀬戸内海の直島に旅行で訪れたとき、ドミトリーでたまたま私と同室になった男が私のTシャツに油性マジックで鯉の絵を描いてくれたのである。曰く、東京でデザイナーをしていたが仕事を辞めて徒歩で日本一周をしている、貧乏旅行なので金が無い、夕飯を奢ってくれるならお礼にあなたのTシャツに絵を描く、とのことだった。面白そうだったので私はその取引に応じ、宿の近くの焼き肉屋で男に夕飯をご馳走した。彼が焼き肉屋の座敷でTシャツに描いてくれた鯉の絵は、予想していたよりもずいぶんと精緻で立派なものだった。 その男とは翌日の朝に別れた。名前を聞いたのだが忘れてしまった。男とはそれきりである。手許には男が描いた鯉のTシャツだけが残った。そして10年の月日が流れた。大切に扱っていたつもりではあったが、さすがに10年も経てばTシャツの襟元もヨレヨレに