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ブックマーク / chanto.jp.net (3)

  • エド・はるみ「すべてを捨て笑いの世界へ」年齢にとらわれない挑戦と覚悟|CHANTO WEB

    大学を卒業後、約20年芝居を続けていたエド・はるみさん。そこから畑違いのお笑いの道へ。さらに40歳を過ぎても続く、挑戦と覚悟を聞きました。(全4回中の1回) 雰囲気も表情もステキです!役者時代(23歳ごろ)のエドさん 希望を捨てず愚直に歩み続けた芝居の世界 ── お笑い芸人になるまで20年以上、女優としてキャリアを積んで来られましたが、女優を志したのはいつごろからですか? エドさん:私は小さいときから人前で表現するのが好きでした。自分でコントを作ったり、先生のモノマネをしたりして、みんなが笑ってくれるのがとても嬉しくて。 でも、進路を決めるときには笑いではなく、演劇学を専攻する大学に入学し、サークルで演劇に打ち込みました。将来は女優になり一生芝居をやって行く覚悟でいたので、大学卒業と同時に、某歴史ある劇団の研究生になりました。 でも、研究生の生活は1年で終わってしまって。それからまたどこか

    エド・はるみ「すべてを捨て笑いの世界へ」年齢にとらわれない挑戦と覚悟|CHANTO WEB
    trashcan
    trashcan 2024/01/27
  • 「リカちゃんでんわ」が電話機の衰退を乗り越えて56年続く理由「いまだに月4万件!」|CHANTO WEB

    「もしもし私リカよ、お電話ありがとう」。このひと言から始まる電話の「リカちゃんでんわ」サービス。SNSが当たり前の今、国民的着せ替え人形「リカちゃん」と電話で話せるこのサービスは、アナログながらも昨年55周年を迎えました。 これまで「今どき電話なの?」という社内の声もあるなか、スマホと違って、子どもが自分の意思で手に取れる身近なメディアということで続けてきたそうです。株式会社タカラトミー マーケティングの沼田瑞穂さんと広報の柳寺薫乃さんにお話を伺いました。 ひとりの子どもの夢を叶えた社員 ──「リカちゃんでんわ」が始まったきっかけは? 沼田さん:リカちゃんを発売してまもなくの1967年当時のある日、ひとりのお子様から「リカちゃんはいますか?」と会社に電話が入り、その電話を受けた社員が機転を利かせて「こんにちは、私リカよ」と対応したそうなんです。すると、そのお子様が喜んでくださったと聞いてい

    「リカちゃんでんわ」が電話機の衰退を乗り越えて56年続く理由「いまだに月4万件!」|CHANTO WEB
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    trashcan 2024/01/15
  • 自転車通勤手当から月2万円の在宅勤務手当へ!形を変えるはてなの働き方支援の裏側|CHANTO WEB

    はてなブログ」や「はてなブックマーク」などのWebサービスを運営する株式会社はてな。「自転車通勤手当」を経て「在宅勤務手当」を打ち出した「フレキシブルワークスタイル制度」を推進し、従来の通勤方法や場所にとらわれない、自由な働き方を目指した環境づくりを進めています。 その取り組みのきっかけや現状について、取締役コーポレート部長の田中慎樹(たなか みつき)さんにお聞きしました。 株式会社はてな取締役コーポレート部長の田中慎樹さん。1974年福岡県生まれ。京都大学卒業後、アンダーセンコンサルティング株式会社(現:アクセンチュア株式会社)を経て、2004年、株式会社はてな入社。コーポレート部門では、人事・総務・経理・経営企画・広報を管轄している。 月2万円支給の「自転車通勤制度」からスタート ── はてなでは、多様な働き方に対応した制度を作ってきたそうですね。これまでに行った取り組みについて

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    trashcan
    trashcan 2021/11/26
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