明治の初め、米国の動物学者エドワード・モースは東京の街で、4人の人力車夫がたむろする場所に歩み寄った。自国の辻馬車屋がするように、客を奪い合うかと思えば、しない。 長さの違う麦わらで“くじ”を引き当てた一人がモースを乗せた。 残った3人はいやな顔ひとつせず、モースを見送った。 その姿がモースには、争いを好まない日本人の、「穏やかな心根(こころね)」と映ったとか。 今でいう談合であろう。モースの文章から伝わるのは、日々の乏しい上がりを分かち合う相身互いの貧しさであるが、昨今の談合の主役たちとの違いは明らかだ。 この話は、今から10年前の新聞記事からの抜粋である。そして話は、新潟市発注の公共工事を巡る官製談合事件で、市の幹部職員が逮捕された事件へと続く。 その前年1月施行の“官製談合防止法”に絡み、初めて「官の声」の刑事責任が問われることになった。 設計額を業者に漏らしていたという。 談合は、
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