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ブックマーク / neogamescopesize.wordpress.com (6)

  • インディペンデント それはちいさな孤高の山をつくること

    インディーゲームイベントBitSummit Let’s Go!!のピグミースタジオブースにて、ラショウさんが新作の『ボコスカチェス』を展示し来場者と対戦している姿が見えた。デジタルゲームがほとんどを占める会場のなか、代表作『ボコスカウォーズ』シリーズ新作をなんとアナログゲームとして出展し、畳の上でプレイする姿をライブで見せる姿は孤高というほかない。ただそこは会場であるみやこめっせ内の壁際である。まるで現在のインディーゲームを取り巻く寓意的な風景みたいだ。 きみの愛馬が!ずきゅんどきゅん走り出しー(ふっふー!)ばきゅんぶきゅん かけてーゆーくーよー!こんなーレースはー はーじめてー(321 ふぁいと♡!!)歌声が『ボコスカチェス』のブースの遠くからひっきりなしに聴こえる。『ウマ娘』の歌だ。 ご存じモバイルゲームの巨大企業サイゲームズが、買い切り形の新作『プリティーダービー 熱血ハチャメチャ大

    インディペンデント それはちいさな孤高の山をつくること
    tripleshot
    tripleshot 2023/08/02
    "いいんだ、インディペンデントとは小高い丘であればそれだけで。"
  • 『デス・ストランディング』ある島の可能性

    自分がとある小説を読んでいるあいだ、テキストから想像していた風景が、視覚メディアにそのまま登場する体験は初めてだ。それをまさかの話題作がハイクオリティで実現していた。 ここに書いてあることはビデオゲーム小説のふたつの作品を通して、歪んだ形である価値観から距離を取りながらも、その価値からは手を切れないことについてである。 (エンディングまでのスポイラー有) かつての“男らしさ”も変わりつつある時代のなかで批判されることも珍しくなくなった。様々な意味で害悪だと見られるそれは、どうすればどろどろとした毒や呪いのような姿が良く見えるのか? フランスの小説家、ミシェル・ウェルベックの作品を読むと、そうした男らしさの価値に捉われたままの男が落ちこぼれ、皮肉に見つめるテキストによって、厭世的な視点で、嫌な形でそれを浮かび上がらせているのがわかる。 「世界の終わりのあと僕は電話ボックスにいる」この言葉で

    『デス・ストランディング』ある島の可能性
  • 勝手に逃げろ/シゲキ・バーキン『Travis Strikes Again: No More Heroes』

    須田剛一が『Travis Strikes Again: No More Heroes』でおよそ10年ぶりにディレクターへ復帰した(共同ディレクターは山崎廉が担当)。2010年以降、長らくクリエイティブディレクターという、奇妙な役職にいた。しかし、どの程度クリエイティブにタッチしていたのかわからなかったし、拡大した規模でのゲーム制作がグラスホッパー・マニファクチュアにとって適正だったか?といえばそうではなかっただろう。『TSA』が発売された時には須田剛一は51歳にもなっていた。/1968年、フランスの5月革命をはじめ、世界で政治運動が展開されていた。当時、気鋭の映画監督だったゴダールは商業映画から撤退、ジガ・ヴェルトフ集団という先鋭化した政治映画製作を展開し、劇映画としてのロジックをすべて捨てた映画を作り続けていた。(Half-Life Modの『ESCAPE FROM WOOMERA』みた

    勝手に逃げろ/シゲキ・バーキン『Travis Strikes Again: No More Heroes』
  • 国道140号線DRIVING SIMULATOR

    かなり前にちょっとした休みが取れた時に昔からの友人と埼玉県の秩父にある三峰神社に車で行った。国道140号線に入り、しばらく運転していくと当に景色が山と木々というとてもシンプルなものになっていくのもあって、いろいろ会話をする。話題が途切れればみんな静かに窓の外の風景を眺めていたりする。 ドライブの最中というのは後になって思い出せないような当にしょうもない話しかしない。よく考えるとドラマや映画なんかでやけに重要な話をするシークエンスにどこかしらの車中でなんてありふれているけど現実にはあまりないわけで、考えてみればタランティーノの映画がとくに伏線にも繋がらないような無意味な会話をあえて入れるというのは映画ではびっくりすることなんだけど、現実では毎日あたりまえに出くわしている。 映画はおおよそ90-180分くらいの尺の中で筋書きをまとめなきゃならないわけからほとんどの瞬間に意味があるからドラマ

    国道140号線DRIVING SIMULATOR
    tripleshot
    tripleshot 2017/06/20
    ゼルダが出てしまったので途中まででやめているが、いつか、時間を取ってまた再開しないとな(そのゼルダですら時間が取れずに中断しているが……!!)
  • ビートたけしが桐生一馬の幻想を殺す

    桐生一馬は『龍が如く』の世界では伝説の極道として長い年月を重ねている設定だ。しかし、プレイヤーである自分の目線からは年月による加齢なんてまったく見えないし描かれない。マリオやソニックみたいなあくまで記号的な存在と思う。最終章である6では48歳ということらしいが年齢に意味があるように思えない。加齢を描ききれていないのである。そこに現実で壮絶な経歴を辿ってきたビートたけしが立ちふさがることでいったい何が起こったか? 『龍が如く』シリーズは多数の俳優や芸能人・スポーツ選手をフェイスキャプチャーして採用しているということをちょっとした豪華演出とかそんなところに金をつかうなみたいな話が出てくるけども、広く見てみれば『LAノワール』や『クオンタム・ブレイク』、チョウ・ユンファを起用した『ストラングルホールド』、さらには小島秀夫の新作ではマッツ・ミケルセンが主演するなどなど、実際の俳優の存在感をビデオゲ

    ビートたけしが桐生一馬の幻想を殺す
  • 「Life is strange」タイムリープ&マジックアワー

    中高生の青春物語とタイムトラベルの相性はよいと言われている。それはあの頃がささやかな後悔の積み重ねで出来ていて、それをどうにかしてしまいたいという感情が過去に戻るという意匠に重なるからだ。青春の光と影なんてありふれたテーマで、挫折を描いた映画小説もたくさんある。だが、あの時代のほとんどの人間はボンクラで挫折を背負いたくはないし、そんな胆力もない。にもかかわらず、実際には何らかの挫折を背負わざるを得ない瞬間が数多く立ちふさがる。青春物語に時を戻すSFが絡むとき、たいていそんな影を帳消しにしようとする。 「さっきはああ言うことは言うんじゃなかった」「いや、ああ言っておけばよかったんだ」といったささやかな積み重ねは、それが大したようなことでなかったとしてもそう選択しきれなかった自分に降りかかってくる。今から振り返ればわずかな期間でしかなかったその時に、知識もなく度胸すらない中学生や高校生だった

    「Life is strange」タイムリープ&マジックアワー
    tripleshot
    tripleshot 2016/10/31
    ずっと気にはなってるタイトルなんだけど、PS+ フリープレイに来るんじゃないかと思って待ちの体勢。(DATURA とか GONE HOME とか BEYOND: Two Souls とか、この手の感じのヤツ絶対好きだよね担当者)
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